第4回-さととはつゑ
こんにちは、稲垣尚美です。今は、介護保険の時代ですが、措置の時に矛盾に感じていたことを物語風に書いてみました。ちょっと堅い話です。
さとは、悔しくてたまらなかった。はつゑに言われたことが耳について離れない。「そんなにあくせく働いて何になるのだ」とあざ笑われたのだ。
半年前の秋、さとは新設の特別養護老人ホームに入所した。特別養護老人ホームは、特別に介護を要する人が入所する施設である。息子夫婦と折り合いが悪く、息子の家にいづらかったさとが、知人から新しく、老人ホームができると聞いて、きれいな老人ホームにぜひ入りたいと願った。そこで俗世間から離れて死ぬまでのんびりと暮らしたいと思った。
さとは、その老人ホームを見学をしてみてますます、気に入った。老人ホームは、高台に海を面して造られており、いつもきれいな海が、見えるのだ。清潔で空調管理をいつもされている居室。毎日の食事の献立も老人向けに工夫されており、ごはんからおかゆの対応までその老人のレベルに合わせて調理を変えてくれるという。さとは、ここへぜひ、入所したいと願った。
さとは、いわゆる介護の必要な老人ではなかった。身の回りのことなどなんでも自分でできる。歩くこともできるし、自分で食事だってできる。見た目は、どこも悪いところはなかった。特別養護老人ホームの常時介護の必要とされる老人という規定には、あてはまらなかった。しかし、知人友人などの縁故を頼んでなんとか入所させてもらった。
私物は、必要な物だけと施設から言われて自分の物は、ほとんど息子の家に置いてきたつもりだった。本当に必要な物だけしか持ってこなかったつもりだった。しかしさとの荷物は、4人部屋のほんの一角には、収まりきらなかった。職員に渋い顔をされ、もう一度必要な物を見なおし、所持品を減らした。さとは、そこで施設は案外自由にならないものだと気づいた。
入所し、施設で生活していくにしたがって、自分と同じように何でも自分でできるのに特別養護老人ホームに入所している人達の存在に気がついた。やはり、さとと同じように縁故入所のようだ。ほとんどの人が、お互いに気を使いながら話している。この年でここで生活しているには、きっといろいろあったのだろうとお互いに思いやる気持ちになってくる。
その中の一人、はつゑの存在は、目をひいた。明らかに、このあたりの田舎の老人とは毛色が違うのだ。このあたりの老人は、施設でもつましく地味な身なりをしているのだが、はつゑは、水商売をしていたとすぐにわかる存在である。着る物も派手であるし、常に化粧をしている。粋がっているし、他の入所者をバカにしている節もある。聞いてみれば、芸者の置き屋をしていたというのだ。キセルが似合いそうな女性である。他の入所者もさともはつゑを一目置いてはつゑを見ていた。
さとは、子どもを生んでからもずっと働いていた。会社に勤めていたのである。子どもを夫の母にみてもらって。定年まで勤めていた。だから、働くのは人間として当たり前だと思っていた。施設に入所してからも何か自分にできることはないかとおしぼり作りや洗濯たたみなどの職員の仕事も積極的に手伝った。しかし、そんなさとをはつゑは、バカにしたのだ。「そんなにあくせく働いて何になるのだ」その言葉にカチンときたさとである。
さとは、施設に毎月払っている金額は、15万円であった。この金額は、本人の収入と後見人である、息子の収入で決まる。さとの収入は、厚生年金である。ほとんどの入所者は、国民年金である。さとは、15万円ほどだが、国民年金の他の入所者は、3万円ほどの金額であった。一人の施設での生活費そのものは、30万円かかっているのだが、本人の負担能力に応じてその金額がかわってくるのである。他の入所者と話してそのことを知ったさとである。もっと驚いたことに、働くことの嫌いなはつゑは、この施設に入所する前は、生活保護を受けていて施設での負担は、0円であった。それどころか、逆に税金から少しばかりの1万円ほど現金をもらっていたのである。後見人になるばすのはつゑの息子は、行方不明である。
若い頃、ろくに楽しいこともせず、必死で働いてきたさととろくに働こうとせず、遊んでばかりいたはつゑと、今、生活は全く、同じである。同じ広さのスペースで暮らし、同じ物を食べ、同じ風呂に入る。施設の生活に矛盾を感じるさとであった。
以上が、措置時代の話です。
2002.03.08