第35回 冬の始まり
こんにちわ、永礼盟です。朝晩の気温差が厳しくなってきました。体調崩されていませんか?そして、同じ介護職員の方々、入居者様の健康管理が大変な時期になってきましたね。今年も、風邪やインフルエンザが猛威を振るうのでしょうか?
一ヶ月前には、なんの笠もかぶっていなかった富士山が、気がつくと真っ白い傘をかぶっている事に気づきました。明らかに月日は流れ、間違えなく人は前に進んでいることを思い知らされます。富士が見えるようになったと言うことは、それだけ空気が澄んだ季節になったという事。寒い季節は、もうそこまでやって来ているのですね。
長い間入院されていた御入居様が、他界されました。病院で息を引き取られたのですが、長い闘いの末でした。入院された当初、酸素マスクをつけ、肩で呼吸をする姿に目を向けられませんでした。あれだけお元気だった方なのに...
その入居者様とは、立ち上げ当初からお手伝いさせていただいていました。決して長い期間ではなかったと思いますが、一つ屋根の下で泣き笑いを共にさせていただいた入居者様の1人です。そんな方が、あれだけお元気だった方が、その時目の前で酸素マスクを付けている姿が信じられませんでした。声かけに、何も反応がなく、薄く目を見開いて、肩で呼吸をしている。人間の儚さを感じた一瞬です。心の中で、「もう長くないんだ。」そう勝手に思っていました。入院ノートに、希望のメッセージを残し、病院を後にしました。
季節は、夏から秋になる頃、時間の許す限り病院に足を運びました。手を握り、「最近ホームの近くではイチョウの葉が色づき始めましたよ。」そう、近況報告とその日にあったことをお話しさせていただきました。その日帰るときに、「またホームで入浴しましょうね。帰ってきたら大浴場の方で入浴して貰いますから、楽しみにしてて下さいね。」そう声かけしました。すると、握っていた手を強く握り返してくれたのです。「通じた!」そう思い、私もその手を強く握り返しました。入院ノートには、紅葉の報告をしたこと、ホームに帰ってきたらお風呂に入る約束をしました。とメッセージを残しました。
ホームの上の人間に、「お前、肩で呼吸している人にそんなことを書くな!」そう怒られました。自分と、御入居様との間に、思い上がりな気持ちを持ってしまっていたことを悔やみました。自分に酔っていた。そんな感じです。あのメッセージを読んだご家族がどんな思いをするか?全身の毛穴が開き、自分の愚かさを悔やみました。
その夜、悩んだ末に、正直に謝る事を決め出社しました。その入居者のご家族が来訪していたので、直ぐに切り出しました。「あのぅ、美紀さん、私入院ノートにとんでもないことを書いてしまったんです。」美紀さんの顔色が変わりました。「な、何?何を書いたの?」「実は、ホームに帰ってきたら入浴をしましょうみたいなことを書いてしまったんです。お父様の状態を知りつつ、そんなことを書いてしまったので申し訳なかったと、謝りたくて...」胃が締め付けられるような痛みを感じました。「確かに、状態はあまり良くないからね。これから病院行くから読んでみるわ。あんた、結構気にしいだから、あまり考え込みすぎないようにね。」そうねぎらいの言葉を貰いました。ずっと胃の痛みは続き、なんでそんなメッセージを残してしまったのか、自分を責めました。
美紀さんは、そのメッセージを読み、「別に問題ないわよ。あんた、父の可能性に懸けてくれているんでしょ?大丈夫よ、兄にもあたしからちゃんと説明しておくから。」美紀さんは、優しく私を包んでくれました。
それからも、ご家族がいないことを確認してお見舞いに行きました。自分の気持ちを懺悔したい気持ちを抑えられなかったからです。その方に懺悔したかったのではなく、先走った自分の気持ちを許して欲しかったのです。お見舞いに行くことで、その気持ちから逃れていたのです。
何年か経った同じ季節に、その方は他界されました。長い闘いだったと思います。沢山のことを教えて貰いました。病魔に負けたのではなく、病魔と闘い、この世に生きる価値を見いだしたのだと。いつも逃げてばかりいる自分が、生きなくては駄目だと、闘わなくては駄目だと決意せざるを得ませんでした。
複雑な思いで、お通夜に行かせていただきました。お焼香をし、手を合わせるとお元気だった頃の事が頭をよぎりました。美紀さんの顔を見られずに、お焼香を済ませました。ホームの職員数人と、会社の上の人間がいました。すると美紀さんが来て、父に会って行ってとおっしゃられました。
仏様を対面することが出来ました。「どう?あたしの父、格好良いでしょう?」美紀さんは、そう言われました。「永礼君との約束は守れなかったけどさ、父さん頑張ったから...」そう言いながら、私の腕をしっかりとつかまえていてくれました。もう、当時の記憶が薄れていつつありましたが、美紀さんは私が書いた入院ノートのことをいつまでも覚えていてくれたのでした。「ホームに帰ってきて欲しい」その気持ちが入浴介助をする約束になったと、美紀さんは永礼盟を包んでくれたのでした。既にホームに残っている職員の中で、亡くなられた美紀さんのお父様を知っている者は、私だけとなっていました。
入れ替わりの激しいホームで生き残っている私。ご家族の願うところは、同じスタッフにお手伝いを続けて貰いたいのだと、この時悟りました。私みたいな人間でも、長くいることがご家族にとってこういう影響を与えるのかと痛感した日でもありました。「父の元気な姿を知っているのは、このホームで永礼君しかいないから。」そう言われたときに、何か、何か分かった気がしました。
遠くで、yaikoの『ベルと本とキャンドル』が聞こえます。
自分の過ちが、過ちだったのかどうか解りませんが、自分の行動が、人に影響を与えることは確かな事実です。この先も、知らず知らすのうちに人を傷つけているのだろうと思います。でも、生きなくちゃ。自分なんて、生きる資格がないなんて思っては駄目だと感じるようになりました。たった少しだけ、たった少しだけの意味を見いだすために、いま自分は存在している。それが、私が生きていてもいい証みたいな物のような気がします。
それが、今年の冬の始まりでした...
2003.11.06
永礼盟