第84回 ヘルパーまでの道のり(8)後編

2019年3月16日

こんにちは、永礼盟です。ご購読ありがとうございます。先週の続きになりますが、ヘルパーまでの道のり(8)後編に、どうかお付き合い下さい。

なんと、初体験の食事介助をさせてもらえた。痴呆の方なので、食べ物を口に運ぶと、無意識で咀嚼して飲み込むと説明された。なんだか学校で習った対応と違っていたので、「これが現場か」。そう思った。「この人達は、痴呆だから、何も解らないの。だから、与えたものは何でも食べちゃうの」。そう教わった。声かけして、何を食べさせるのかを伝え、口に運んだ。「はい、これは、大根です。切り干し大根ですよ~」声かけすると、隣の方が「はい!!」大きな返事をしてくれました。「あなたじゃ、ないのよ~」心の中で思ったが、全盲の方だったので、なんて言って良いのかも解らず、自分の食事介助に専念した。

かなり、ビビリながらだったと思う。もし、誤嚥したらどうしよう。そんな気持ちとの戦いだった。しかし、食事の時間もあと10分と言うところで、担当の人と変わった。その豪快な食べさせっぷりに驚いてしまった。大さじの食事を次々に口の中に運ぶのを見て、「介護の現場か~」と、また感動した。

その後、自分も食事をとり、午後のティータイムまで、少し時間が出来た。午後からも実習生が来た。私だけだった4Fに、三人も実習生がやってきた。今日で、もう四日目らしい。洗濯した衣服を仕分ける作業をしながら、色んな話を聞いた。

彼女たちは、教職を取っているのだそうだ。今は教職の科目に介護があると聞いて、これまた感動した。これからは、絶対に介護が必要だと思っていたからだ。なぜなら、何も知らなくて介護をしたら、全てのことを介助してしまったり、残存機能を使わなかったりで、自立支援の妨げになったり、間違った介護をしてしまう可能性があるからだ。この教職に介護が加わった事が、何とも嬉しかった。(元々介護の科目があったらごめんなさい)

自分はその三人(推定21歳)の子達に、「何でも指示してくださいね。」と声かけした。「やる気満々ですね。」と言われたが、なんだか悪い気はしてないようだった。その子達にも、色々教わって、今度は施設職員と一緒に、シーツ交換を行った。

ビックリしたのは、あれだけ授業で習ったシーツ交換が、フィットシーツなるものに変わっていたのだ。ベッドの角に挟むだけで終了のシーツだ。これには介護の現場に来たのにと、ガッカリしたが、職員に優しい、介護グッズも出だしたんだなぁと、また感動した。

そのシーツ交換が終わり、入居者の方とお話する機会が出来た。自分に話術がないことが不安にさせたが、一生懸命頑張れば、何か得るものがあると、お話させてもらった。何を言ってるのか解らなかったが、よぉぉぉく聞いてみると、お姉さんのお子さんの話だった。

お姉さんに、子供が出来ないために、よそからもらってきて育てていたそうだ。しかし、戦争があって、海軍になって軍艦が沈没し、救命ボートで何処かの島へたどり着き、戦争が終わって日本に帰ってくる頃に、その入居者のお姉さんは川へ飛び込み自殺してしまったのだそうだ。あいつが、もう少し早く帰ってきたらな~。「考えてみれば、あいつも可愛そうな奴だよ。」これが落ちだ。この話を、何十回と聞かされた。

時間にして、30分。同じ話を何度も、何度も、聞いた。頑張って話をすり替えてみた。その人は東京出身と言うことだったので、何処か聞くと、後楽園がある所だという。そっちの話に持っていこうとしたら、坂本九の話になった。「何だっけ?あの、飛行機の歌手?下を向いて歩いちゃう人?なんだっけ?」思わず爆笑してしまった。「下向いたら、涙あふれちゃうから!!」珍しくツッコミを入れた自分が居た。

坂本九が、飛行機事故で死んだけど、天皇陛下が、一生面倒見てくれてるんだと、自分に話してくれたのだった。坂本九で、飛行機の話になったら、また海軍の話になり、元のお姉さんのお子さんの話になった。「考えて見れば、あいつも可愛そうな奴だよ!!」満足したら、寝てしまった。何とも勝手である。

そんな話をしていたら、自分たちのお茶の時間になった。休憩室でお茶をもらうと、さっきの実習生三人が居た。三人とも可愛い。しかも、同じ名字だ。心の中で、『トリプル佐藤』と名付けていた。色んな話をしてくれた。

ルーズソックス全盛の頃の高校生だったらしい。ゴムをわざと抜くのが、ルーズの基本と習った。なぜか、特別養護老人施設で、ルーズソックスで、「わはは」「わはは」盛り上がってる奴らが居るとは、夢にも思わないだろうと思う。そこで、自分の勉強は終わりになった。

施設職員の方も、僕に興味を持ってくれたみたいで、色々とアドバイスをしてくれた。きっと本気で介護職を目指してるのが伝わったのだと思う。

一日だったけど、感謝の気持ちでいっぱいです。学ばせていただいて、ありがとうございました。物凄い一日だった。これから、この『物凄い』が、毎日やってくるのだ。そうそれはもうすぐ目の前である。覚悟は決まってるのだった。

2004.12.03

永礼盟