【第16回】特別養護老人ホームの実態(5)
前回、出張美容室の話にうっとりしたまま、終わってしまい、大変失礼した。整髪と美容という言葉の違い以上に老人ホームの中での取り扱いも異なるということを言いたかったのであるが。欧米の施設にいくと施設内の理美容室も本当にお洒落で思わず一般や職員もお客様になっていて商売が繁盛しているという感じである。
日本の施設内の理美容室はまだまだ、リネン室や特別面接室の域を超えていない印象がある。ましてや余計なことだが、病院の洗髪や剃毛は最低サービスである。目的があくまでも清潔であったり、手術のためであったりする趣旨は十分に理解しているが、下手で自分でやりたくなるという経験はずいぶんしてきた。それに「すみませんねえ。お手数をおかけして。。。」等と、洗ってもらっている側はすごく恐縮してしまっている。
前に同僚に看護師養成の洗髪実習の話を聞いてみたが、洗髪や整髪そのものが患者様の日常生活の看護の本当にごく一部で美容室のようなシャンプー台担当3年というような修行の場ではもちろんないので、技術や心遣いにはオムツ交換などより大きな差が出てしまうのが実情だと言っていた。つまり、お湯加減はいかがですか、首元は苦しくはございませんか、流し足りないところは御座いますでしょうかといった対応にはなりえていないのが施設や病院の提供するサービスの現状だということになる。
元現役看護師であるこの同僚も、疲れているとき、美容室に行って洗髪してもらって、きれいにブローしてもらうと思わず気分がすっきり、爽やかになるものねえとしみじみうなずいていた。筆者はおととい行きつけの美容室に行ったのであるが、そこは洗髪のサービスの際、いつも感心させられる。「辻本様は、シャンプーのお湯はお熱め、洗い方はややお強めでござましたね。本日もそのようで宜しいでしょうか?」とシャンプー台担当のお姉さんの声かけから洗髪が始まるのである。
言葉かけと雰囲気でこれほど、たかが洗髪であるが、その洗髪が清潔保持から生活意欲向上をもたらす魔法になってしまうのだから興味深い。まあ、こういう洗髪じゃあ、1000円のシャンプー代は惜しくはないわよねと自分で納得してしまうのである。
話は老人ホームに戻るが、高齢者も自由きままな髪型を選択できて、毎朝鏡を覗きながらていねいに整髪してもらえていたらどんなに朝を迎えるのが嬉しいだろうかと思うが、そんな手間のかかることを言おうものなら、きわめて人手が足りない時間帯である、早朝番の職員さんたちにひどく怒られそうなのでやめておく。
夜勤で、30人を約1人で介護し早番を加えても5から6人足らずの職員で100人の方々のモーニングケアをそこまで気を使ってできるかと言われればそれは無理ですねえと言わざるをえない。整髪や髭剃りだけがモーニングケアのすべてではないからである。
昔は、24時間同じジャージーの上下のような衣服で、そのまま、ベッドから離床して食堂へ誘導すればよかったが、今は一人ひとりをパジャマから昼間の衣服と着替えを手伝うというケアの煩雑さも入ってきている。だからよけいにこの時間帯は施設にとっては本当に魔のラッシュアワーなのである。
ちなみに早番はだいたい午前5時半ぐらいには勤務に入る。夜勤はほとんど仮眠なしに前日の午後5時半ぐらいから勤務しているわけだからいくらハイテンションになっていても限界に近い。本当は夜ぐっすり眠っていて朝まで眼がさめない高齢者ばかりをお預かりしているなら仮眠も取れるわけだが、そういうわけにもやはりいかないわけである。
肩まで伸ばしている髪をブラシで梳かし気が付いたことであるが、明治生まれの方が圧倒的に多い頃(←かなり前である、今は大正生まれが主流)、女性の多くが頭のてっぺんが剥げている、またはとても薄くなっていた。これは日本髪を結っていた名残である。前髪をしっかり根元からひっぱりあげて結ぶのがまず基本だったからである。そこに簪の中でもアイスクリームのヘラのような形をしたものや小さな飾り櫛をさしてさらに引っ張ったのである。
結果として晩年、河童みたいな状態に女性も剥げることを当時の筆者は学んだ。そういえば、質屋の店先では帯止め、羽織の紐、簪、櫛と、それぞれ、鼈甲、ヒスイ、メノウ、珊瑚と見事な細工のものが宝飾品として売られていた。とにかく、昔の女性もまちがいなく、お洒落であった。どんな方のお道具かはあずかり知らぬが、指輪やネックレスとも異なり、妙に色気を感じさせられてはっとしたのであった。
2005.11.15