【第22回】特別養護老人ホームの実態(11)~恋は最高の薬・その1~

2019年3月19日

めっきり寒気団が続けておいでになって、外出も億劫になりがちである。クリスマス前、財布も軽いし、大人しく部屋を暖かくしてこたつの番がいいかもしれぬ。

前回予告させていただいたように、高齢者の施設内恋愛についてお話をしていこうと思う。人間は百八の煩悩があるといわれているが、食欲にまして人間の異性に対する関心というか、興味は生涯なかなかつきないものである。特に女性よりも男性という生き物は元来どうもスケベなものではないかと思われる。そうでなければ人類は絶えてしまうかもしれないからまあ、しかたがないが。

女性は生理が終わる頃をだいたい境として異性にあんまり関心がなくなる方が多いように見受けられる。恋愛よりは食欲に走るかもしれぬ、大福を食べながら原稿を書いているものだからつい失礼した。

しかしながら、性欲ならぬ、恋愛は双方の異性への好意が互いにやり取りされ、ある程度のラリーを続けることによって様々な生きている意欲のような不思議なエネルギーを呼び覚ます。それはある見方をすれば燃え尽きる前にもうひとひかりするような線香花火の最後に閃く火花のような妖艶な美しさがある。少し前までは自由な恋愛などはけっこう田舎はタブーでたとえ好意は持っても結婚としては添い遂げることを許されないというような哀しい恋がたくさんあった。

互いに別々の伴侶を経て・それなりに平凡な家庭を築いて、波乱万丈あって半世紀をはるか越して二人が運命の再会を果たしたのは特別養護老人ホームのホールであった。70年ぶりにその額に深く刻まれたしわよりもはるかに互いの思いの方が深かったことを確認したその瞬間、タイムトンネルを経て二人は10代の乙女と青年に戻った。

現実は車椅子をやっと自走するSさん(←84歳のおばあちゃん)と四点杖をやっとつきながらよろよろ歩くTさん(87歳のおじいちゃん)が眼を潤ませながら物言わずにみつめあっているのであった。何も台詞は必要なかった。Sさんはその日老人病院から特別養護老人ホームに入所してきたばかりであった。Tさんは入所3年目であった。その日から穏やかな笑みを浮かべながらゆっくりと施設内の廊下や苑内の中庭を散策する二人の姿を周囲が一日中みかけるようになるのであった。それは永らく人生の道を互いに寄り添い歩く夫婦そのものであった。

例えはよくないが、庭園で花をめいでながら微笑む皇室アルバムの一場面のようだった。Tさんが行き止りの廊下の片隅で杖を離して両手を車椅子の白髪のSさんを抱きしめている場面に遭遇した職員は抱えていた洗濯物を思わずその場に落としそうになったのである。杖がなくてちゃんと立っている上に中腰で熱い抱擁を交わしているのに度肝を抜かれたのである。奇跡的に立ち上がったアルプスの少女ハイジにでてくるクララをみた気分だったに違いない。その日を境にTさんはゆっくりと自力で歩くことができるようになった。入所以来あんなにリハビリをしても平行棒から手が離せなかった方とも思えない。

一方、車椅子のSさんはTさんと物静かに寄り添っているだけで、他の利用者と接触している感じはまったくない。食堂というのは当然指定席のように座る場所はほぼ固定的であるのが普通である。新参者は、なかなか入りにくい雰囲気はある。空いている場所を職員が見極めてそのテーブルに座っている利用者さんたちの了解を取って座るという感じが普通である。

で、TさんとSさんはどうしたか?結論から言ってTさんの席の隣を車椅子が入れるようにやや強引に空けることになったのである。二人の食卓空間が作られてしまった。右側が麻痺しているTさんは食べ物を口元から時々こぼす。さりげなく、口の周りについた食べ物を自然にゆっくりととろうとするSさん。実にかいがいしい。

「どうします??」なんていう職員の声がまもなくミーティングで出された。「どうするって?」と聞き返した私。「貴方がたはどうしたいの?」「・・・・・」「他の居住者の手前もありますし。集団生活だから良くないですよね。Sさんもお友達ができないし。」TさんとSさんの経緯については既に察しがついていた私は、さてさてどう動いたでしょうか。次回をお楽しみにね。

2006.01.04