【第21回】特別養護老人ホームの実態(10)~仕掛け人Sさんの軌跡~

2019年3月19日

めっきり寒くなったが、いかがお過ごしだろうか。急激に冷え込んできたこの12月から2月までは高齢者にとっては試練の季節である。インフルエンザだけが怖いのではなく、ちょっとした肺炎から命を落とす方も少なくないので、あまり葬祭には呼ばれたくないのでくれぐれも手洗いにうがいをしましょう。職員の皆様も。

で、遅れた原稿予告どおりに関東のとある県において老人福祉界では知る人ぞ知る仕掛け人Sさんの話をしよう。Sさんは、最初にあった10年前のいでたちでいうと歌のお兄さん出身の田中星児を肥らせた感じでマッシュルームカットのおじさんであった。少し垂れ眼で笑うと相好くずしてしまう。当時はたぶん40代後半だったと思う。

この方の軌跡については深くは知らないし、ある特別養護老人ホームの応接間ではじめてお会いした時には、ムーミン谷のスナフキンについに逢えたノンノンの気分だった。いつも噂を聴きながらかけつけると居ないのである。「どこへ?また旅にできたのさ」と土地の年よりは遠くをみながら静かにつぶやくのであった。つまり、スナフキンにはユートピアは存在しないのであって定住とか、骨をうずめるという言葉は似合わない。だから福祉業界に篤いハートを持って入ってきた若者はSさんに憧れるのだと思う。

考えてみればこの業界は燃え尽き症候群の人が多い。多くの夢と理想を持って飛び込んでくるが、達成感がなかなか得られにくいことと相手は常にやがては亡くなっていく現実を乗り切って自身を保っていくのは至難の業である。何かがおかしいと制度と現場の矛盾に軋轢を感じながら、眼前の高齢者の深くしわがきざまれたその寝顔をふと眺める時、この仕事に関わっていてよかったなあと思えるかどうか。Sさんは、新しい施設や組織、仕掛けを創設するのが生涯の仕事に違いない。フロンティアなんですね、常に生き方が。

彼が立ち上げた特別養護老人ホームはいくつ存在するのだろうか。私が初めてあった時から知っているだけで、3つは立ち上げている。社会福祉法人組織化もむろんやる。資金面、土地の取得や地域における住民への交渉、設計、スタッフ集め、基礎教育等なんでもやる。困難にあたればあたるほど益々情熱をもやし、笑顔が増える人である。

辛口の筆者がこれだけ誉めるには訳がある。自分の利益とか、プライドとか私腹をこやす匂いがしないことはもちろんだが利用者さんとの関わり合いの場面において敬謙な視線と尊敬をこめた言葉が常に変わりないのである。利用者に親しみをこめるのとため口をきくのは異なる。現場に出て一番気になるのは職員のため口である。自分より少なくても倍近い人生の時間を生きてきた方々に馴れ馴れしい口調はやはり失礼かと思う。

で、Sさんは特別養護老人ホームの限界を感じる中で中高年者が共同で出資し、終の棲家なる共同住宅を設立した。福祉先進国といわれる北欧でも数少ないと言われる気高齢者共同組合方式の高齢者住宅であった。個室方式はもちろん、食事の時間も決まっていないし、外出も外泊も自由、施設内に趣味のサークル活動などが可能な多目的ホールもあった。

元気な高齢者がやがてADLレベルが落ちてきても生活環境の変化を体験しなくてもいいのはとても快適に違いない。近隣のある市で株式会社を設立して、認知症の高齢者対象のグループホームを開設したあたりから身体の不調を訴えて時々現場から姿がみえないなあと思っていた。こっちがおっかけをしばし休止しているうちにある事件を機にとりあえずにまたわらじをはいてしまったのである。

この狭い業界、いったいどこへ消えてしまったのかと思ったが関係者の口は重たい。Sさんは常にチャレンジャーなんだからしかたがないよねというのみである。風のたよりにはどこぞの土地でまた新型特別養護老人ホームの立ち上げをしているらしい。「Sさんよ、福祉のユートピアはこの地上には存在しないのではないの?」とまた時間を忘れて議論したいものだ。個人的な興味でいえば80台にまだ互いにこの世に存在していたら一緒に高齢者住宅なんかでお隣同士で暮らしたいというところだ。退屈しない。まあ、大切な奥様がおいでになるので、わきまえてお付き合いしますが。

「たまには便りください!!」高齢者に代わってこの場をお借りして呼びかけておこう。次回は当然施設内恋愛でしょうね。お楽しみに。

2005.12.27