【第26回】特別養護老人ホームの実態(15)~戦争とタブーその2~

2019年3月21日

大寒を迎え、寒さも最高潮、インフルエンザも猛威をふるっているらしいが、読者の皆様は風邪などを引かれてはおられないであろうか。この季節、身体の抵抗力が落ちている高齢者に接する方にはぜひインフルエンザの予防注射と外出から戻った後の手洗い、うがいを心がけていただきたい。その風邪が高齢者にとっては肺炎につながって、死亡に至るケースも十分にありえるのでせいいっぱい注意していただきたい。

で、前回のSさん夫妻話の続きに戻ろう。施設入所のきっかけはSさんの奥さん(94歳)の心疾患による緊急入院であった。運よく、村内の同じ集落の知人宅で発作を起こしたためSさんの奥さんは、救急車にて病院に搬送され、危機一髪一命をとりとめた。が、かなり不安定で酸素吸入の装置の音も病室にはばかるような一時も予断を許さない状態となった。

Sさんの家から病院は歩ける距離ではない。山道で120分はかかる。アップダウンもかなりある。Sさん自身は高齢のわりには高血圧以外これといって病気はないが毎日、奥さんの病床に訪ねて行きたくてもそれは無理な話しである。ヘルパー派遣が検討され、提案されたがSさんは拒否した。

さて、数日後自宅に一人残された薬をSさんに届けに行った病院の職員が眼にしたのは、小さな子供のように背中を丸めて座っているSさんの後姿であった。「奥さん、状態はだいぶ落ち着かれたようですね。良かったですね。」「ああ。」と一言元気なく返しただけだった。あわてて顔を覗き込むと、なんとなくSさんの様子がおかしいことに気がついた。「ご飯、召し上がっていますかね。」とさらに職員が声をかけると、「電気釜、こわれちゃったんさ。ま、でもそこら辺のもん食べているから。冷蔵庫におかずはあるし。」

家の奥の一畳ぐらいのタイルの流し台には、汚れたちゃわんや皿が散乱しており、流し台の横には、煤けた電気釜が放置されていた。よく火事にならなかったと思ったと職員は話していた。小さな古ぼけた冷凍庫がついていない、ワンドアの冷蔵庫をあけたとたん、生ごみの臭気があたり一面に漂った。冷蔵庫には生ごみとしかみえないものを載せたお皿が数枚入っていただけだった。

奥さんが入院している病院に併設されている老人保健施設にSさんが緊急入所することになったのはその翌日の話である。本当は家を離れることはいやだったにちがいないが、このままSさんを一人でおいておくことはできなかったし、在宅を支援する手段もなかった。敷地内の病院にはいつでも奥さんを見舞うことができるから、寂しくはなく痴呆症状も改善するであろうという、楽観的な見方はまだあった。

で、実際は入所した夜から徘徊が始まったのである。奥さんに逢いにいくつもりで部屋を出たのか、それともトイレに行くつもりだったのかは定かではないが、施設内を夜間よたよた、されどもくもくと歩き続ける姿はかなり切羽つまっていた。何かに急き立てられているようにも思えた。「奥さんのベッドに行ってみましょうか。」と意をけっして声をかけた職員に「いやぁぁぁ。どうも。なんでもないから。なんでもないから。」と差し出した手を振り切るようにしてまた歩きはじめるのであった。

夜中の徘徊を除いてはSさんの施設暮らしは極めて静かなもので、食堂には食事時にだけでてきてだまってご飯を食べ、食べ終わるとさっさと部屋に戻り、ふかふかのベッドに横になるという単調さであった。日常生活のADLレベルは自立しているし、他に問題行動はないので職員も気をつけているつもりでも、周囲の印象に残るような生活ではなかった。時々、テラスの外をガラス越しに腰に手を当てじっとみつめるSさんの姿は時々みかけることがあった。

満開の桜の頃、Sさんの奥さんは病状が安定し、Sさんがいる老人保健施設に入所することになった。これで一件落着となると思う向きもあったが、事はそうはうまく行かなかった。Sさん夫婦を2人部屋にセットして差し上げたかったが、二人部屋の差額代金の負担がSさん夫婦には無理な話であった。こういう時に部屋代のことはあまり言いたくないが老人保健施設は当時介護保険導入前であり、4人部屋はともかく2人部屋個室では、国民年金それも一部カットでもらっているのが唯一の収入源であるSさん夫婦には負担できる金額ではなかった。

特別養護老人ホームなら夫婦2人部屋は可能かと言ったらやはり無理だと思う。パーテーションに近い取り外しのきく間取りの個室をつなげることができる建築上の工夫をみせてもらったことがあるからそういう施設に入れればいいが、まずそんなにはない。新型特別養護老人ホームはもちろん存在しなかった。Sさん夫婦の終の棲家としては老人保健施設はあまりにもふさわしくなかったのである。それがわかりながら、Sさんは自分の奥さんも識別できなくなりながら、トイレも時々廊下の柱に向かって立ち小便をしかける有様となった。一方、Sさんの奥さんは酸素ボンベをつけながらも車椅子で施設内なら自走できるようにまで回復した。

「家が一番。家に二人で帰りたい。」と静かにつぶやいたSさんのおなかの底からしぼり出すような声を私が聴いてからどれほどの時がたったであろうか。山ゼミの鳴きしげる時期に決行したいと願っていたSさん夫婦の自宅ショートスティ大作戦もついに実らぬまま、赤とんぼが夕暮れ時を山の空を染める頃、Sさんはひとりであの世に旅立っていった。ソファにもたれかかったまま眠るように息をひきとっていった。

Sさんの奥さんは今日も暮れかかった西日を背中に浴びながら老人保健施設のホールでぼんやりテレビを眺めている。二人で帰らなければ意味がなかった終の棲家への旅路はまだまだ遠く、Sさんも三途の川の向こうで黙々と歩き続けているのかもしれない。次回は再び戦争の話に戻ります。元少尉どののお話をどうぞお楽しみに。

2006.02.02