【第35回】在宅系老人ホームの実態(第4回)~デイサービスは宅老所か?~

2019年3月21日

気圧の変動とそれに伴う湿度の変化に体調をくずす高齢者が多くなるのがこの梅雨時である。デイサービス、宅老所は、けっこうお休みになる利用者が増えてきている。デイサービスは、家で入浴が一人ではできない、日中一人で留守番をさせておくのは心配、一人暮らしで誰とも会話をかわすことがない日が多い、一人で散歩や近所への外出が困難、様々な理由でお見えになるいわば、保育?保老所である。家族にしてみれば、デイサービスに行ってもらっている間に休養や外出、用足しができるという、極めて都合のいいサービスである。

地域の老人憩いの家や老人福祉センターと何が大きく違うかというと、家からの送迎サービスがもれなくセットされていることと、お昼が給食付きであることくらいか。憩いの家のお風呂は例えば都内の某区では65歳以上の方は入浴料がかからない。一日休憩室で昼寝をしたり、カラオケに興じていてもまったく自由でプログラムが少ない。おにぎりや自慢の漬物を持参してこれまた無料で用意されている安いお茶をセルフサービスで入れて一日遊んでいる比較的元気な高齢者をみかけることができる。

デイサービス見守りから介助浴程度が可能な、介護保険制度でいうとせいぜい要支援から要介護2くらいまでの方を主たる対象としている。一人でおいとけないし、日常生活になんらかの介助は必要だけど、椅子や車椅子に座って座位で、半日程度は暮らすことができる方をイメージしてくださったらいいかもしれない。

デイサービスとよく似たサービスでデイケアというサービスがあるが、こちらはリハビリテーション、すなわち機能回復訓練に主眼をおいた通所サービスだが、内容的にも、利用する高齢者の状態や事情もデイサービスと似たり寄ったりという感じである。

デイサービスにもデイケアにも看護師が配置されており、バイタルチェックをして入浴の可否を判断したり、体調の変調の観察がなされているからあまりサービスの違いはないわけであるが、デイケアは常勤の理学療法士(PT)が機能訓練の指導と実践についているプログラムがあるのがしいていえば特徴かもしれない。

家族との連絡帳があるのはまるで、幼稚園や保育所を連想させるが、お預かりしている間に気が付いたことや、出来事、昼食の摂取状況までこと細かに職員が忙しい合間を縫って記入している。これはとっても大事なことではあるが、介護日誌の二度手間で、職員にとってはかなりの負担である。家族とのコミュニケーションを取ることは在宅の高齢者の24時間を家族の協力のもとに連携して支援していくという本来の理想的な介護の在り方なので、重要であるには違いない。家族に対する精神的支援という言葉で納めれば綺麗である。「穏やかにお過ごしでした。」「楽しそうに七夕の短冊作りに取り組まれていました。」と事務的連絡事項の他はやはり幼稚園の連絡帳を連想してしまうのは私だけだろうか。

危険なく、預かってもらえれば、せいせいしているのが多くの家族だから、そんなに興味がないことに時間をかけて記入しても意味があるのかとひねて考えてしまう。まさか、「トイレで便をかき混ぜ、それを壁に擦り付けて困りました。」とか、「家に帰るといって何度も玄関まで逃亡して連れ戻しました。」とはリアルに書いてみてもチクリのようでどうも気が進まない。「特に変わりなし。」が一番無難だと思う。変調は多くの場合、高齢者にとっては悪い兆しだからである。「歩けました。」、「つかまって立ち上がろうとしました。」というような成長が喜びとして家族と共有できるような出来事はまずない。

お風呂に呼ばれるまで、椅子に腰掛けてテレビをぼーっとみていたり、居眠りしていたり、ぼんやり宙に視線が彷徨っている高齢者が本当に多い。同じテーブルやソファに腰かけても高齢者同士で交わされる会話はほとんどない。仲が悪いとか、相性が悪いという以前の問題で、隣の人の存在に関心すらない様子なのである。集団保育?集団保老?でありながら、集団遊びやおしゃべりに興じる姿は、憩いの家などでみられる元気な高齢者方の集まりの場とはまったく異質な雰囲気がデイサービスには存在するということである。職員が話しかけたり、声かけをすれば返答もするし、会話が弾むこともあるが、新たな友人関係を築こうとか、他人と関わりあいたいと思っているようにはどうして思えない。それって?というのが私のデイサービスにおける最初の疑問であった。

次回は引き続いてデイサービスの話をします。お楽しみに。

2006.07.18