[46]ナンセンスコール(下)

これまで2号にわたり非常識な119番通報する人とナンセンスコールをする人を分析してきた。前号ではその2者の共通する心理を述べた。彼らは決して邪悪な人々ではない。どちらかと言うと心の弱い人々と言える。しかし、その一方で彼らには共通して「他人と上手くやれない」という欠点がある。「他人と上手くやれない」からこそ、孤独になるのだが、彼らはその心の弱さ故に自分の置かれている現実を認めようとしない。勿論自分のやっている119番通報やナンセンスコールが他人に迷惑をかけている事も認めていないのだ。
今回はその厄介なナンセンスコールについて効果的な対策について語ろう。世間の人々はなぜか非常識な119番通報をする健常者については厳しいが、なぜか本質的には同じ行為であるはずのナンセンスコールについては甘い。「寂しいんだろう」「かわいそうだから仕方ない」など同情を寄せる。しかし、現場にいる人間にとってはその「かわいそうな」人々はとんでもない破壊行為をしているとしか解釈できない。
中には障害を持ったナンセンスコーラ―もいて、その境遇に共感するべきだと主張する人もいる。しかし、別に障害をもっているのはそのナンセンスコーラ―だけではない。同じように障害をもっていても非常識なコールをしない障害者はいるのだ。障害でナンセンスコールを正当化するのはそれこそ障害者への侮辱に他ならない。
福祉界にも「良識的な」人物が多く、彼らはナンセンスコールに対しては接する職員が利用者の孤独や苦痛を受容するべきだと偉そうに語る。しかし、俺は現場でもう10年以上働いているがそのような受容態度でナンセンスコールが改善した例は一例もないと断言する。理由は簡単だ。現場は忙しい。夜勤など夜通しオムツ交換など必要なケアを効率よく提供しなければならないのに一個人の悩み事や愚痴を聞いている時間など無い。
時間がある時に聞いてやれば良いじゃないか・・・という意見もあるだろう。しかし、彼らははっきり言えば時間があっても話を聞きたくなるほど「いい人々」ではない。前述したが、ナンセンスコーラ―は他人と上手くやれない人が多い。介護職も人間だから好き嫌いがある。
そもそも他人の聞きたくない話を聞くのはとても難しい技術だ。そんな技術が年収200万程度の介護職に簡単にできるのならカウンセラーは全員失業だ。言っておくがカウンセラーは1時間のセッションで万単位の報酬を要求する。こう聞くと驚く人が多いが、人の話を聞く技術はそれだけ高くつくのだ。
百歩譲って十分に話を聞いて本人の苦悩を受容しても、それでもナンセンスコールは繰り返されるだろう。何も解決しない。なぜだかわかるだろうか?
先ほどのカウンセラーの話に戻ろう。当たり前の話だが、カウンセラーはただ話を聞くだけの人ではない。患者の話を聞きながら分析を行い、無意識の中に閉じ込めている問題点を指摘して解決へ導くのだ。ナンセンスコーラ―や非常識な119番通報を繰り返す人には共通して自分の問題や孤独を直視しない現実逃避がある。もし問題の解決を図るなら彼らが認めたがらない「心の問題」を指摘して、それに向き合わせないといけないはずだ。
ただ彼らの愚痴や不満を聞いて満足させれば一時的には彼らは満足するかもしれない。しかし、根底にある彼らの問題を放置しているのだから何の解決にもならない。だから、ナンセンスコールは繰り返されるのだ。どんな優秀なカウンセラーでも彼らのナンセンスコールや119番通報を止めさせるのは至難の業に違いない。なぜなら自分の置かれている現実から逃げている者を治療することは誰にもできない。結局は自分たちの問題を解決するのは彼ら次第でしかないというわけだ。彼らが自分たちから逃げている限り、問題の解決はありえない。だから話し合いは無駄なのだ。
非常識な119番通報、ナンセンスコールを彼らの良心とモラルで解決することは不可能に等しい。しかし、彼らの非常識な行為自体を止めることは案外簡単に達成できる。どういうことかわかるだろうか?答えを言う前に興味深いことを話そう。
アメリカでも救急車の出動は多いが、なぜか非常識で無駄な出動要請をする人はいない。なぜだかわかるだろうか?簡単な事だ。米国では救急車を呼べば殆どの州で有料だからだ。料金は州によって違うが、安い方から200ドル、高くなると1000ドルを後で請求される。
搬送料金は保険でカバーされることもあるが、タクシー代わりに呼べば当然だが保険支払いは拒否される。料金を踏み倒そうとする不届き者には債権回収会社の取立てが待っている。救急車を呼んでお金を請求されることに驚くかもしれないが、日本でも1回救急車を呼べば4万円費用がかかっている。勿論その4万円は税金だ。無駄な119番通報が蔓延っている現状を考えれば無料の方がおかしいとも言えるのだ。横浜市が無駄な119番通報に罰金を科す条例を制定したが、当然だろう。人間道徳やモラルでは動かなくても経済的な動機では動くといういい見本だ。
施設のナンセンスコール対策も同じ事だ。ナースコールに課金をしてそのお金でナースコールに対応できる余剰の職員を雇う。ナースコールの有料化については利用者は勿論、福祉関係者ましてや勤務している介護職員からも抵抗の声が少なくないが、ナースコールに対応しているのは介護職員だし、人を介したサービスが無料で運営できるわけが無いではないか。
過剰なナースコールをする人の場合は月末の請求書を見て、あまりにも高額なナースコール利用料に驚くこともあるだろう。いいサービスとは高くつくものだ。その結果利用者の家族などは「ナースコールの設備を取り除け」と要求するかもしれない。ナンセンスコールに対してコール端末を外すというのは悪い選択肢ではない。どうせ施設全体の7,8割のナースコールはその必要性が疑われるものばかりだ。一部の利用者がナンセンスコールをするのでその割合が高くなり、他の正当なコールをする人が犠牲になる構図がそこにある。
エル・ドマドール
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