[53]認知症シリーズ(7)徘徊

2018年8月25日

今回も認知症シリーズを続ける。
認知症といえば記憶障害や理解力がなくなる知能低下などいろいろあるが、その中でもっとも介護職員をてこずらせる行動障害の一つは周囲をうろうろする徘徊だろう。現役の介護職員の読者諸兄の中には徘徊に頭を痛めている人も少なくないだろう。認知症利用者の行動障害の中でもかなりポピュラーで難しい問題の一つである徘徊について今回は語りたい。少しでも現役の読者諸君のお役に立てれば幸いだ。
介護施設など現場で働いていないとあまり徘徊の問題を理解できないかもしれないのでその概要を説明しよう。徘徊とは文字通り施設の中などを目的の有無に関わらず徘徊しまくることである。その理由は後ほど説明するが、いろんな要素がある。この問題の困ったことは歩行能力が高い場合は油断すると無断外出に繋がり、下手すると行方不明で警察沙汰になりかねないことだ。一方で歩行能力が低く行動範囲が広くない人は無断外出は無いが、中途半端な歩行能力のために転倒をしやすく骨折の可能性があることだ。特に夜間などは眠気でフラフラになっている人も多いため転倒リスクがかなり高い。
徘徊者がいると職員がその監視のために人手を取られやすく、日常の業務が果たしにくくなることが一番大きい。再三述べているが介護現場はギリギリの職員配置しかしないから十分な余裕がないし、受けるストレスも半端じゃない。徘徊している利用者に徘徊を止めるようにどんな声かけしても無駄な事が多い。後述するが徘徊する本人にとっては他人にはわからなくてもそれなりの徘徊する理由がある。そもそも声かけ程度で止まるなら誰も苦労しない。なぜ徘徊してするのか?介護現場はその理由さえわかっていないし、考えようとしていない。今回俺が徘徊の理由をあなた方に解りやすく説明したい。
読者諸兄は「常動行為」というのをご存知だろうか?知的障害者施設などの経験がある人は聞いたことがあるかもしれない。知的障害者施設や児童養護施設ではよく落ち着きのない利用者がいる事が多い。片時も止まることがなく、電源の入っている車のおもちゃのように動いている。実を言うとこれと同じ症状は動物の間にも見られる。
動物園の熊などが常に同じ場所をくるくる落ち着き無く移動している姿を見たことがあるだろう。これも所謂「常動行為」なのだ。動物園の熊は観客の視線にストレスを感じて、そのような行為に出る。例えが悪いが知的障害者の「常動行為」も原理はこれと同じだ。
「常動行為」に苦しむ利用者は常に不安に苦しんでいる。それは施設という刑務所に収容され自由がないストレスかもしれないし、職員が自分の行為を咎めることによるストレスもあるかもしれない。老人の徘徊もこの「常動行為」の形態の一つなのだ。
老人は運動量がどうしても知的障害者と比べて少ないために一見判断が難しいが、やっている事は彼らと同じだ。いろんなストレスや不安から逃れるために老人は出口を求めさまようのだ。動物や知的障害者、認知症高齢者はいずれもストレスに脆弱なのだ。因みに健常者にもたまにこのような「常動行為」は見られる。緊張しているときの所謂貧乏ゆすりなどがそれに当たる。
徘徊をする人々がストレスや不安を感じる要因など高齢者施設にいればいくらでもある。家に帰れない、家族はいない、周りは知らない人ばかり、あるいは内服薬の副作用で不安になっている可能性もあるだろう。施設は利用者を不安にさせる要因ばかりだが、その中でもっとも大きいのが社会的役割の喪失だ。
社会的役割の喪失とは何か?解りやすく説明しよう。
前号で俺は人間が感じる精神的不安から逃れるために文化の存在があると主張した。老人や知的障害者の常動行為は文化の存在の有無が影響している。やるべき仕事や家庭など社会的に与えられた役割や文化的要素が彼らにはどうしても無いのだ。人間は本来ニートのように「何もしない」事に耐えられない。人間は本来生活費を稼ぐために仕方なく仕事をするのではない。自分の精神的安定のため、自分にアイデンティティを与えるために仕事や役割を求めるのだ。社会的役割は仕事と考えるとわかりやすいが、何も仕事とは限らない。家事や民生委員などの地域活動もそれに当たる。
残念なことに施設は利用者から社会的役割を剥奪してしまう。やるべき仕事も無い。人の役に立つという実感も無い。周りは知らない人ばかり。そして何もさせてくれないから体力は有り余っている。徘徊は何も異常な行動ではない。文化性をもつ人間なら当然の行為なのだ。
では徘徊に対する対策はあるのか?これも身も蓋も無いが、徘徊つまり常動行為を止めるのは現在の福祉形態ではもはや不可能と言ってもいい。施設の存在そのものが徘徊をさせる要素しかないからだ。根本的解決など無いと断言してもいい。ただ現場レベルでは止める方法はある。施設などで徘徊者がいる場合は
・疲れさせる
のが基本だ。好きなだけ徘徊させて疲れたところを休ませるのだ。言っておくが拘束するのは逆効果だ。余計にむきになって予測できない行動に出る可能性がある。
「歩かせる」というと「転倒して骨折したらどうするのか?」という指摘があるだろう。しかし、元々この問題を解決する方法は無い。施設の存在そのものが矛盾と欺瞞なのだから入所した時点で終わりだ。厳しいがそれが現実なのだ。
エル・ドマドール
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