[52]認知症シリーズ(6)文化

2018年8月25日

今回は久しぶりに認知症シリーズを復活させたい。今回のテーマは文化にした。
「文化」と聞いて「文化が認知症と関係あるのか?」と怪訝に思う方は少なくないだろう。おそらく福祉の専門学校や大学でも文化と認知症の関係について教えることはないだろう。しかし、「学校では教えない」ものを教えることをモットーとしているこのメールマガジンでは敢えてこのテーマについて語りたい。
まずはっきり言っておくが、認知症と文化性は切っても切れない密接な関係がある。俺はよく実習生にもこう言うことがある。
「認知症は文化性がなくなることを意味するんだよ」
つまり文化性が後退するときに人は認知症になりやすいと言えるのだ。認知症シリーズ(1)定義で認知症は器質的疾患による脳機能の低下と俺が主張したではないか?と反論があるかもしれない。しかし、器質的疾患と共に文化性の伴わない介護や援助をすると明らかに認知症が進みやすくなるのだ。
しかし、ここで根本的な疑問がある。果たして文化とはそもそも何だろうか?文化と言う言葉を知っていてもその定義や具体性について語れる人はそうはいないだろう。広辞苑で調べてみた。
文化・・・人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住を始め技術、学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の儀式と内容を含む。
定義を読んでどう思ったのだろうか?殆どの人は漠然としていて具体的に文化がどんなものかわかりにくいのではないだろうか?そこで俺は文化を具体的に説明しよう。介護の本質を知りたければいろんな教養が必要なのだ。
文化とは何か?それは人間の不安定な自我を支える精神的支柱だ。他の動物と比べてもスピードも遅く、力も弱いヒトがなぜここまで地球を支配できた理由はモノを考えるの能力、つまり前頭葉が他の動物と比べて優秀だったからに他ならない。人間は考える葦であるとパスカルが語ったように頭脳で環境の変化に対応して生き延びてきた。環境が変わってしまい対応できないから恐竜は死滅したのだ。
しかし、人間に優位をもたらした前頭葉は他のリスクをもたらした。なまじ考えるために不安を感じるようになってしまったのだ。石器時代なら「明日は獲物が捕まるのだろうか?」、現在なら「会社が倒産したら、どう食べていけばいいのか?」などなど。現に将来を悲観して自殺を図る種は人間だけだ。その不安から脱出するにはどうするのか?
そこでヒトは文化を考え付いた。将来の不安を癒す(考えない)ために神を想像して、宗教を作り、効率的な獲物を取るために学問を施して、他の人間に協力してもらうために政治、道徳を考え付いた。ニーチェ、ゴッホなどは優秀で考えすぎるあまり精神を病んでいた。そこで彼らは精神的安楽のために文化にしがみつき、書物と絵画という形で人類に文化的遺産を残したのだ。
人間は動物のようにただ捕食する、繁殖するを繰り返すような単純な生活はできない。ただ栄養を補給するためならヒトもゼリー飲料や流動食、カロリーメイトを食べても目的は達成できる。しかし、そんな食生活を楽しいと思う人はまずいないだろう。食べるにしても文化性を含んだものを好む。様々なメニュー、美しいテーブルマナー、食文化と言われているのは伊達ではない。
だが、ゼリー飲料や流動食などおよそ文化性とは程遠い生活を強要されている人々がいる。それが介護施設の利用者たちだ。とてもありえない全員同じの画一的なメニュー、刻み食やミキサー食、およそ健全な文化的生活とは言いがたい。勿論嚥下障害などでどうしても刻み食やミキサー食、とろみを付けることなどは必要なのはわかるし、全員同じメニューになるのも仕方ないのかもしれない。しかし、文化性のある健常者とかけ離れた生活はますます認知症を推進してしまう現実があるのだ。認知症を防ぐ方法は未だにはっきりと科学的にはわかってはいない。しかし、俺の介護経験上、文化性から程遠い生活をすると明らかに認知症が進みやすくなる。
例えば介護現場では、ある利用者が食事のときに食べこぼしがあると、柄の太い独特の介護用自助具スプーンを用意したり、エプロンをつけたりすることがある。しかし、介護用スプーンもエプロンも普通の文化的人間は使わない。効率がいいから、もしくは利用者も介護者も楽だからという理由で文化性を拒否すると人間として堕落してしまうのだ。たとえ辛くても、時間がかかっても和食に箸を使う人はそれだけ脳や身体も鍛えられるから認知症になりにくい。排泄についてもオムツをつけると明らかに認知症に繋がりやすいのだ。
つまり認知症から遠ざかりたいのであれば普通の文化的生活を維持することを目指すべきなのだ。勿論ADL(日常生活動作)の低下で止むを得ずミキサー食やオムツにするのは多少は止むを得ないかもしれない。だが、現実は努力の余地があるのに利用者も介護者も安易な妥協をして介護用スプーンやオムツを使用しているところがある。だがそんな安易な妥協をする人間には認知症が待っている。文化性とはいわば人間としての尊厳なのだ。人間としてのプライドを捨てた人間はもはやヒトではないのだ。
エル・ドマドール
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