[37]認知症シリーズ―(2)記憶障害

2018年8月25日

前回に続いて今回も老人ホームの裏事情らしいことをしていきたい。前回は認知症の定義について述べたが、今回は認知症の典型的な症状「記憶障害」について語ろう。
認知症の記憶障害は、いわゆる物忘れや何度も同じ事を主張するなど老人施設でよく見られる言動を思い浮かべる人が少なくないと思う。今回理論を語る前に実際にあったケースをもって認知症の記憶障害を説明したい。
*事例
89歳の男性福田友蔵は某老人ホームで暮らしている。福田は典型的な認知症だった。慌しい夕食が終わり職員が一息ついている頃、福田は食堂にやってきた。
福田「あのう・・・すみません。わたしまだ夕ご飯頂いていないんですが・・・」
職員「え??もう食べ終わりましたよ」
福田「いや、まだ食べていませんよ。お腹がすいて困っているんです。ご飯を出してくださいよ」
職員「そんなバカな。何を言っているんですか?さっき全部食べたじゃないですか?」
福田「私はご飯をまだ食べていないんです!夕ご飯をちゃんと出してください!」
職員「さっき皆さんと一緒に食べたじゃないですか!!」
福田「他の人にご飯あるのに私だけないんですか?そんなの酷い!私にもちゃんとご飯を出してください!」
実際にあった事例を少しアレンジしてみた。老人施設に勤めたことがある人はこんなケースを体験した事があるだろう。この場合何がいけなかったのだろう?
(1)NOと言ってはいけない
サミュエル・L・ジャクソン主演の映画「交渉人」を知っているだろうか?この映画は所謂立てこもり事件などで人質を取った犯人と交渉するネゴシエーターのが出てくるものだが、彼ら人質交渉人の鉄則が面白い。
それは「絶対にNOと言ってはならない」だ。犯人の要求を言下に断り興奮させては事件解決なんておぼつかなくなる。だから、交渉人はあの手この手で上手く犯人と交渉して事件解決を導こうとする。
認知症老人の交渉にも同じ事が言える。犯罪者と認知症老人と同一に見るのは失礼ではないかという指摘もあるかもしれないが、これはきわめて理にかなっているのだ。
福田友蔵は典型的な認知症による短期記憶障害を起こしている。彼は「ご飯を食べていない」を事実に捉えている。記憶障害のために「ご飯を食べた」という事実が消去されているのだ。その状態の彼に事実を突きつけても水掛け論になるだけで不毛だ。
(2)短期記憶障害
認知症の場合、よく短期記憶障害を伴うことが多い。新しい事は簡単に覚えられて、古いことはよく忘れるように思われているが、認知症の場合は逆だ。認知症の老人は古い記憶はよく保持されるが、新しい記憶は覚えるのが難しい。極端な場合、数秒前に言ったことも忘れてしまうケースもある。福田友蔵の場合、少し前に夕食を食べた事実を忘却しているのだ。食事は毎日の習慣になっているため、どうしても印象は薄く忘れやすくなる。しかも皮肉なことに高齢者は抽象的な事実の記憶は苦手だが、言い争いなど具体的な感情の記憶は簡単に忘れてくれない。
(3)具体的対策
ここからは具体的な対策を明記しよう。まずこのケース、余分に食事を出せるならもう一度夕食を出してあげるのがいい。しかし、もう余分な食膳がなかったり、糖尿病などで余分なカロリーを与えられないケースもあるだろう。その場合はどうするのか?実際に俺が行った対処を参考にして欲しい。
福田「すいません・・・まだご飯を食べていないんですが・・・」
俺「そうなんですか?それはお腹が空いてますね。(←共感を示す)」
福田「そうなんですよぅ。ご飯を出してください」
俺「わかりました。すぐにお出しします」
福田「ありがとう」
俺「ちょっとお時間がかかりますから、部屋で待ちましょうか?(←場面を変えることにより忘却を誘う)できましたらお呼びします」
福田「わかりました。ありがとう」
いかがだろうか?
手前味噌で申し訳ないが、俺は大体こんな感じで上手くトラブルを回避している。猛獣使いの面目躍如と言ったところだ。
「ご飯を出す」と福田と約束しているが本当に出す必要はない。短期記憶障害のため、約束した内容はすぐに忘れてしまうからだ。本人の問題は記憶障害に由来しているが、記憶障害を逆手に利用することだ。勿論利用者によって、いろんな解決法があるからこのやり方だけが正解だけではない。だが、先ほど言ったように利用者の主張を無下に否定してはならない。改めて「NOといってはならない」事を強調しておく。なおこれは「家に帰りたい」「ものを盗まれた」などの訴えに対しても応用が効く。
(4)ためらいなく嘘をつけ
(3)で俺は嘘をつくことを奨励している。そのことに対してためらいや戸惑いを持つ人もいるだろう。しかし、前に第12号「暴力」で述べたように真面目さだけではこの業界渡っていけないところがある。真面目さとは柔軟性の欠如とも言えるのだ。老人介護は国会でも裁判所でもない。偽証しても罰せられるどころか褒められることさえあるのだ。客観的事実は彼らに何の安らぎをもたらさないのだ。ためらいなく嘘をついて認知症老人たちを手玉に取って欲しい。
エル・ドマドール
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