[51]ヒューマンスキル

このメールマガジンは名前の通り学校などでは教わらないことを教えるのを目的としてきた。今回も福祉の学校や専門家でも教えられないことをあなた方に教えることにしよう。以前第35号「リハブ」でリハビリについて語ったことを覚えているだろうか?その中で俺がまだ言い忘れていた事を今回は伝えたいと思う。
PT(理学療法)、OT(作業療法)、ST(言語療法)あるいは生活リハビリなどリハビリは重要だと思う人が多いだろう。俺もリハビリは大事だと思う。だが、俺は常に身体や頭脳を鍛えるリハビリよりももっと大事な「リハビリ」があると以前から強調していることがある。それは人付き合いや人間関係をうまく良好に保つというスキルである。この技術は所謂世間一般で言うコミュニケーション能力やヒューマンスキルと呼ばれることも多い。
コミュニケーション能力というと究極的には言葉を介さない意思疎通を意味することもあり、あまりにも包括する範囲が広すぎる。人付き合いが下手な人、人間関係のトラブルが多い人は大抵言葉が話せない人ではない。だから俺は今回人付き合いの技術を「ヒューマンスキル」と呼びことにする。その名の通りまさしく人間のスキルであり、人間としての基本の技術ともいえるのだ。
少し前置きが長くなったが、今回強調したいのは「所謂リハビリでADL(日常生活動作)などを向上させるよりもヒューマンスキルを獲得する方が大事」だということだ。リハビリ界もそうだが、福祉界でも利用者のヒューマンスキルが議論されることは全く無い。ヒューマンスキルが無ければ社会生活や家族の援助にも支障を来す重要な要素であるにも関わらず福祉業界は今までそういう領域は踏み込んでこなかった。
人付き合いを上手くやりくりするヒューマンスキルができない人は健常者の中にもいるが、とりわけ福祉の世界では実に多い。健常者は人付き合いが下手でも日常生活は自分でできるだろう。しかし、福祉のお世話になる人は日常生活に他人の援助が必要なのにも関わらずヒューマンスキルに欠陥がある人が多い。施設に入所してくる人は大なり小なり家族関係がすでに悪化している人が少なくない。家族は確かに物心両面での拠り所だが、他人になれないからこそ憎しみもより募る。2007年の統計では日本での殺人事件のうち48パーセントが尊属間殺人、つまり殺人事件の半分は身内の犯行なのだ。「血は水よりも濃い」とはよく言ったものだ。
障害や認知症などで他人の助けて貰わなくてはならない身分になっても助けてもらう家族に悪態をついたり、暴言を吐く。酷いと暴力行為を故意に働くことがある。全ての利用者がそんなろくでなしだと言うわけではないが、施設はそのような社会で上手くやっていけない人、所謂社会不適合者の収容所としての機能を果たしているとも言えるのだ。
社会不適合者と言うと抵抗感を示す人は福祉業界にも多い。自分の働いている施設が刑務所と変わらない社会機能をもつことを未だに認めたらがないのだ。しかし、彼らを介護している職員の行動を実際見てみるとそういう問題のある人々とプライベートでのお付き合いは敬遠しているのが現実だ。利用者と敬語で話し表面上は仲良くしていても、入院の見舞いにさえ行かない職員もいる。口では立派なことを言えても行動は本音を隠せないのだ。
障害を持っているのだから多少の悪態や罵詈雑言は職員側が受容すべきではないかという意見もある。確かに障害受容の不安定さ、脳血管障害などで精神的に不安定になったり、内服薬の副作用で情緒不安定になることはあるだろう。しかし、社会一般でそんな言い訳が通用するかと言えば通用するわけが無い。社会一般でそのような行為が許されないからこそ彼らは施設に入所しているのだ。
ノーマライゼーションの理想を主張し、利用者の社会進出を主張するならそんな言い訳は許されない。ましてや障害を持っているから多少の悪行が許されると言うのは障害者に対する最大の侮辱だ。つまり中途半端な同情は彼らにとって何のメリットももたらさない。社会で許されない行為は施設でも許してはならないのだ。それは別に介護する職員のためではないし、社会のためではない。何よりも利用者の為なのだ。
利用者のヒューマンスキルのリハビリが何よりも大事なのは自明の理だが、残念なことに現在の社会福祉業界や医療にはそういった機能は全く無い。敢えて言うならば精神科医やカウンセラー、心理判定員などがその役割に近いのだろうが、利用者のヒューマンスキルを重視する自覚はない。しかも、介護保険以後、利用者のヒューマンスキルのリハビリには逆風が吹くようになった。
利用者をサービスを利用するお客様として扱うお客様主義が台頭してきたのだ。利用者はお客様、利用者さまのご要望には全部お答えする。普通のサービス業のように接客マナーの研修をする事業所も出てきた。福祉従事者が一方的に利用者よりも強かった時代は悪しき時代と認識され始めた。俺も利用者の権利意識が高まるのは悪いことではないと思う。しかし、現在の接客主義には致命的な欠陥がある。それは利用者のヒューマンスキルに問題があっても全く何もできないことだ。
施設の中には、利用者とのトラブルを問答無用で職員側を悪とするところが少なくない。利用者の中には自分が悪くて注意されていても逆恨みで上層部にクレームを訴える人がいる。上層部がそのクレームを真に受けて、間違いを正した職員が処分を受けることもある。介護職も言ってみれば所詮保身が大事なサラリーマンに過ぎない。そんなことがあれば、誰も間違いを指摘しなくなる。その結果、事なかれ主義が蔓延り、悪行が黙認され施設内のモラルは凋落してしまうのだ。
昔ながらの施設は口論をするぐらい利用者に熱くなる職員が必ず何人かいた。利用者と口論すると言うと問題では?と思うかもしれないが、喜怒哀楽を表現し生身の人間として体当たりで接するからこそ濃密な信頼関係が築いていたのも事実だった。利用者のほうも「本気で怒ってくれる、心配してくれる人がいる」事を望んでいたフシがあるのだ。勿論これは利用者のヒューマンスキルの向上に役立っていた。現在ではそんな熱くなる職員は少なくなった。利用者と揉めないお客様主義が彼らを駆逐してしまったのだ。
エル・ドマドール
【関連記事】
[35]リハブ