[126]リハビリテーション(2)

2018年8月25日

今回は先週からの続きだが、まずは先週最後に述べた「関節の硬化は死への一里塚になりかねない」について少し説明をしたい。、先週を述べたように理論上固くなった関節は元のように柔らかくすることはできる。しかし、現実問題俺の介護キャリアの中で、関節が固くなってしまった人が元に戻ったケースは見たことがない。それどころか足が90度しか曲げられなくなるとその後、必ずと言っていいほど状態が悪化する。ある人は肺炎を起こして死亡し、ある人はうつ病にかかり食事ができなくなり胃ろうを造設したり、またある人は植物状態になったりする。いろんなケースがあるが、共通するのは関節が固くなり立てなくなったりするとその後、ADL(日常生活動作)表を更新しなくてはならなくなるほどの状態悪化が見られることだ。
どうしてこんなことになるのか?それは利用者の心理面が大きい。誰でもやはり膝が伸ばせなくなり立てなくなると大いに落ち込んでしまう。今までできていた事が出来なくなるショックは到底想像できるものではない。この状態を予防するには非常に地道な努力がいる。リハビリは筋力の向上など目に見える成果に注目をされがちだが、関節の柔軟性を維持するROM(この場合、ストレッチと同じ意味)こそ必要なのだ。だが、残念なことに今の制度では脳血管障害でも180日経つと保険診療の対象外になってしまう。その上、関節の柔軟性がどれだけ大事なのかはメディアでもそして福祉や医療の世界でもあまり知られていない。統計も取っていないのだから判りようがない。関節が硬化してからROMを始めても遅い。膝が自由に伸ばせるうちにROMをしておくのが大事なのだ。
もうひとつリハビリの大事な部分はモチベーションの向上だ。人間は誰しも辛いことを避けて楽な方に逃げるのが人情だ。疾病にかかり落ち込んでいる患者にとって一人でリハビリはかなり辛いものがある。だが、PTやOTが見てくれている、応援してくれているとなるとやはり違う。人間は自分の尻を叩く人間がいるからこそ頑張れるところがある。人間の感情の機微は数字や統計には表れないが、非常に大事なのは確かだ。
しかし、状況は悪化するばかりだ。現在病院はどこも経営難で苦しんでいる。その状況を打開するためできるだけ早く患者を退院させ、空きベッドの回転を速くしたがる。だからろくにリハビリも受けた事のない利用者が増えるのだ。厚生労働省は「生活リハビリで十分リハビリの代用になる」と言う。生活リハビリとは入浴やトイレ介助、更衣など普段の日常生活動作で行うリハビリの事だ。トイレ動作で立ったり座ったりすることで筋力が鍛えられると言うのだ。しかし、そんなもの無知な人間を騙す方便にすぎない。実態は全く違う。生活リハビリで本物のリハビリの代わりには絶対ならない。介護施設などでも「利用者の能力をフルに発揮してもらう」とは言うが、スピード優先の介護現場ではどうしても過介助になりやすい。そもそも生活リハビリでは運動量が絶対的に足りない。介護施設の利用者は要支援1だろうが、要介護度5だろうが全員怠け者と考えていい。中傷のようだが、利用者の一日の9割は寝ているか遊んでいるか怠惰に過ごしているのが現実だ。かろうじて運動していると言えるのは1割ほどで食事や入浴、排泄、更衣ぐらいだろう。仕事もない、家事もない、食事は上げ膳下げ膳では運動量が低下するのは当たり前だ。生活リハビリなど幻想もいいところなのだ。
さて今回のメルマガもいかがだっただろうか?今回読者諸兄に大事なお知らせをしたい。たまごや様の諸事情により、この3月でこのメルマガはたまごや様を通じて発行が終了することになった。まだ詳細は決まっていないが、このメルマガの存続をどうするかは未だ暗中模索の状態だ。俺自身は書くネタにはまだまだ困っていない自負があるが、果たして読者諸兄がこのメルマガの存続を望んでいるのかが気がかりだ。
とりあえず120回以上、2年以上にわたり執筆を手伝っていただいたたまごや様に感謝を申し上げたい。そしてこんな言いたい放題のメルマガを読んでくれた貴方達、読者にも感謝したい。3月終わりまではきちんと発行するのでよろしくお付き合い願おう。
エル・ドマドール
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