[17]差別する障害者

第14号「差別する介護職」を覚えているだろうか?俺はそのテーマで介護職は本来はあってはならない利用者への差別感情を持っていると訴えた。しかも、多くの介護職はその自らの差別感情をなかなか認めようとはしないことも述べた。
しかし、今回また理想主義に溢れる介護者や障害者両方を敵にまわす議論をしたい。障害者を差別するのは何も介護者や一般の健常者だけではない。障害者の中でもお互い差別しあっている現実があるのだ。信じられないかもしれないが、障害者を差別する障害者はどこにでもいる。
俺がかつて勤めていた老人施設でこんなことがあった。まだ介護認定がない頃で比較的高いADL(日常生活動作)でも入所することができた時の話だ。そこに尾形という80歳の女性がいた。尾形は認知症もなく、ADLも洗濯が自分でできるぐらい自立していた。尾形は仲がいい入居者仲間がいた。同じような能力の持ち主でADLも高く認知症もない3人の老女たちは尾形を中心にいつも食堂で同じテーブルを囲み、仲良く談笑しながら食事をしていた。
ある日この3人の友情がいきなり崩壊することになる。仲良し3人組の一人、西岡が突然入院してしまったのだ。最初尾形は西岡が入院したことにショックを受け、「どうしているのかしら?」と心配していた。1ヵ月後、西岡は何とか退院してきた。
しかし、尾形の前に再び姿を現した西岡はまるで別人だった。歩行はできなくなり、車椅子に乗っていたのだ。あと激しい闘病のため活気もなく、髪もボサボサ、化粧もしていない。入院していてADLが下がってしまったのだ。それでも最初尾形は退院してきた西岡を優しく歓迎した。「いったいどうしていたの?大丈夫?」としきりに声をかけた。
しかし西岡が復帰してから1週間後、尾形は突然食堂に来なくなった。介護職に食事を部屋にまで運ばせるようになったのだ。相談員が不審に思い、尾形になぜ食堂に来ないのか尋ねてみた。すると、尾形は思いの丈をぶちまけるように訴えた。
「西岡さんと一緒に食事をしたくない。あの人と一緒だと食欲が湧かない」相談員は思いもよらない答えに驚きながらもなぜ西岡と一緒に食事をしたくないのか問い質した。尾形はしばらくはぐらかしていたが、観念したように話した。
「西岡さんの食べる姿は気持ち悪い。食欲がなくなる」尾形は西岡のミキサー食にかなり不快感を感じていた。西岡は以前は普通の食事だったが、入院中に食事の嚥下(飲み込みのこと)がうまくできなくなった。そこで食事をミキサーにかけペースト状にしていたのだ。ペースト状にすると外見が悪くなる。それを尾形は「気持ち悪い」と主張した。
相談員は事実を説明した。西岡さんはどうしても飲み込みが悪く、健常者と同じ食事はできない。好きでミキサー食を食べているわけではない。どうか理解して前と同じように食堂で西岡さんと一緒に食べませんか?と根気よく説明した。しかし、尾形の答えはそれまでの友情を何もなかったように覆すものだった。「絶対イヤ!あんな人と一緒にされたくない!」
結局この後西岡と尾形が一緒のテーブルに座ることは二度となかった。
これを読んだ読者はどう感じただろうか?あまりにも醜い、おぞましい物語だが、似たようなケースはどこの老人施設や障害者施設でもありえることだ。老人や障害者を差別して見下すのは何も健常者だけに限らない。同じ境遇にあるはずの障害者や老人もお互い差別しあう関係にあるのだ。特に要介護度が低く認識もはっきりしている老人は要介護度の重い老人を見下す傾向が強い。障害者施設でも中途障害者(脳梗塞などで突然障害者になった人)は脳性麻痺などの先天性の障害者を見下す傾向もある。勿論全員が全員差別するわけじゃないし、モラルある人々は障害者や老人にもいる。しかし、どこの施設でもそのような傲慢な態度を取る利用者はいるのだ。
この世にはありとあらゆる差別がある。人種、宗教、家柄、国籍、健常者は障害者よりももっと多く人を差別するスティグマを見つけ出してきた。どうしてそんな些細な違いで差別をするのか?解り易く言えば、人間には誰しも何らかの不満や不安がある。己の弱さを見つめるよりも、自分の不安や欲求不満を解消するために他人に難癖をつけスケープゴートにするのだ。
本当のところ、尾形の西岡への拒絶の本質的な理由は別にあったのだ。要介護の高い老人に対する「あんな人と一緒にされたくない」と言う露骨な差別感情は実を言うと尾形の不安や恐れに根ざしている。何を恐れているのか?
それは尾形もいつか西岡のような姿になってしまうことだ。人間はいずれは衰える。認知症が進み、人格が荒廃した姿ははっきり言って直視に耐えるものではない。だからこそ尾形は恐怖を感じているのだ。いつか自分も西岡のように「気持ち悪い食べ方」をするようになる。尾形が西岡を避ける本当の理由は自分の将来を直視したくないためだったのだ。
介護者に暴力を振るい、オムツを自分で触って手を便や尿まみれにする姿はあまりにも残酷だ。介護している職員もこんな現場にずっと直面していると、惨めな要介護の生活に自分の将来を悲観する人が多い。
「わたしはあんな風になりたくない。下手に長生きするくらいなら、ある日ぽっくり死にたい」こんな台詞を介護者から聞くのは一度や二度ではない。
だが、若い介護者は西岡のようになるまでに時間がまだある。しかし、尾形にとっては「いま、そこにある危機」なのだ。
エル・ドマドール
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