第73回 困る人

2018年10月25日

こんにちわ、永礼盟です。ご購読ありがとうございます。

我がホーム、一人の利用者に振り回されています。特に介護度が高い訳ではなく、痴呆や徘徊もないのですが、心理的に職員を追いつめて来る要求が、ケアする立場の人間を参らせてしまっているようです。

この利用者の作戦と言うと批判されるでしょうが、受ける印象はそんな感じです。パーキンソンを患われているのですが、職員にADLの全てを依存してきます。全介助をしてもらうために、ありとあらゆる言動をとって来るのです。

車椅子からベッドに移るのも、ジッと介助されるのを待っています。「出来る事があったら、ご自分で行ってみましょう。」そう声かけすると、「あの人は全部やってくれるんだから、あたしもやって。」その動作が出来る事は、察知出来ます。手をプルプル震わせて、「あたし、こんななのよ!それを見て見ぬ振りする訳?」と、泣きながら訴えてきます。これが、数日の付き合いならびっくりして介助の手を差し伸べてしまうかもしれません。 しかし、一つ屋根の下に生活されて、そのお手伝いを何年もさせていただくと、その訴えが本物か偽物か、見分けられるようになります。オオカミが来たと嘘をつき、大人をからかっていた子供が、本当にオオカミに襲われた時に、助けを呼んでも誰も助けてくれなかった童話を思い出します。

自分は被害者なんだから、あなたは手を貸して当然! ご自分の病を人のせいにしたい気持ちが伺えます。本当に苦しい時、そうやって演技まがいの事してしまう時、どっちにしても、苦しいのは解ります。しかし、我々はその人の苦しみを背負う必要はないのです。

その方の発言にもありますが、「あなたに私の苦しみが解ってるんですか!」という気持ちからの要求です。思ってはいけない事ですが、「はあ~」とため息をつきたくなる気持ちになります。他人と自分を比べ、自分よりも手がかかる人を見ると、「あの人みたいにしてちょうだい。」「あの人には色々やってあげてるのに、なんであたしにはやってくれないの?」そのような訴えがあります。「あの方は、あの方の介助方法があるように、森川さんには森川さんの介助方法があるんです。」「全介助するは良いのですが、出来る事を怠っていると、出来る事も出来なくなる可能性がありますので、頑張って行ってみましょう。」「あなたは、私の病気を理解しているんですか? 私は病人なんですよ。それを、放っておく訳ですか? あなたの本心が見えました。子供に言って、意義を申し立てさせていただきます。」介護者に、自分の対応は間違っているのか? と思わせる言動で要求を膨らませてきます。老人ホームの、「ケア」と「サービス」を混同した問題です。

そんな症状が出だしたのは今年の始めぐらいで、夕方になると震えが出て来ると言う事から、夕食は居室に配膳するようになっていました。手を振るわせ、「ほら!ほら!手の震えが止まらないのよ!解るでしょう!」それが始まりです。職員を呼びつけて手を震わせてみせます。

すぐにカンファレンスを行い、対応策を考えます。答えは出ぬまま、しばら く様子観察と、いつもと変わらぬ対応と、ADLの低下を防ぐため、ご自分で出 来る事はやってもらうと言う方針でケアする事になりました。

勿論感情には波があるので、いつもこう言う状態ではありません。森川さんの難しい所は、まず自分から最初に行わないと拗ねてしまう事です。日々の生活は勿論、レクリエーション等の対応も難しいです。人数を計算して行う外出も、当日になって突然行くと言い出し、行った先で「つまらない」と一人で鬱な訴えを始め、行った利用者全員の雰囲気を暗くしてしまったり、他の利用者が我がままな訴えをするのを聞くと、「常識が無いのよね!」と怒りをあらわにされたりします。本気で言ってるのかな? と耳を疑ってしまいます。

子供に帰ると言いますが、まさに訴えは幼稚です。考えは幼稚ですが、その人には人生経験があり、人生の先輩です。そこに敬意をはらい、ケアに当たらなくてはいけないのですが、はっきり言ってムカつきます。ここ一ヶ月くらいの森川さんは異常で、精神的に少し参ってしまっているようです。ケア記録表もどんどん厚くなり、ファイルがパンパンに膨らんでいます。記録を読むと、信じられない訴えばかり。職員の殆どが居室に呼ばれ、30分以上も訳の分からない話を延々と聞かされる毎日。だんだんとケアする気持ちに、歪みが生まれます。

要求は大きいのに、一括性はなく矛盾だらけです。問題が起こり、対応しても本人は、してもらっていない。発言も、被害妄想的な物が多く、誰が聞いてもおかしいと言う訴えをするようになりました。痴呆が進みだしたのか、気の病が進行したのか、薬の副作用かは解りません。問題は、対応している事もしてもらってないと言う訴えに、家族からクレームになる事も考えられ、大きな問題として組織レベルで動く事になりました。

組織は、精神科の受診や専門医の相談を受けろと言う考え。ホームのナースは、まず出来る事からやりなさいと言う考え。ホームリーダーは、その板挟みを食らっているようです。問題があっても、人間と人間のふれ合いの中での仕事なので、小回りが利かないのは仕方が無い事なのかもしれません。

まず出来る事。それは家族の協力を得る事と考えているようです。ナースとホームリーダーの間で、考えの違いから衝突が起きています。家族に森川さんの状態を話し、なるべくホームに足を運んでもらう協力を仰ぐ。それがナースの考えだとすると、リーダーは、家族が来ないのは、森川さんがそう言う状態だと知っていて、あえてホームに来訪しないと考えているようです。会わないから上手く行く事もある。私もそう思います。しかし森川さんの今の状態は、家族がネックになっている事は記録からも、職員の印象からも明らかだと思われ、近日に行われる家族との面談で、今後の対応が変わってきます。

まずは受容。ヘルパー講習で一番自分に響いた教えでした。しかし、現場ではそれをどうやって実践して行ったら良いかが難しいです。真っすぐに受容してしまうと、森川さんの様な人は介護者が参ってしまいます。事実、参って退職してしまう職員もいます。訴えを聞かないわけにはいかないし、聞いていると介護者の心が削られて行く。それでも受容出来る人が、この世界で本物となって行くのでしょうが、私には難しそうです。昔、上司に「お前はザルの中の介護人だ。」と言われた事があります。ザルの中で沢山の介護者達が揺すられている。その中で、本物だけが生き残ると言う論理です。私は、笊の中で揺すられるためにここにいるんじゃない。今自分は、出口の場所が分からなくなってしまっているようです。

困った人….
それは、自分の事なのかもしれません。

2004.09.06

永礼盟