[21]フォアグラ(下)

前回のあらすじ
施設では可愛そうに無理やり食事を利用者に食べさせる拷問がまかり通っている。俺はそれをフォアグラと呼んでいる。フォアグラはフランス料理の鴨の肝臓の事だが、その過程で無理やり鴨に食事を取らせて太らせている。その姿が施設の利用者達と変わらないためだ。実習生との会話ももう3週目に入った。思った以上にこの話題は根が深く簡単には語り尽くせない。
前回指摘したポイントは・・・
1食欲不振は内服薬の影響の可能性もある。
2食事には精神面も影響する。不本意に施設に入所している環境では食事が進まないのは無理はない。
3脱水症状は病院で点滴を打てばすぐ回復する。しかし、無理やり食べさせると誤嚥による窒息を起こし、下手すると死亡する可能性がある。
*実習生との会話
実習生「確かに無理やり食べさせるのは危険です。でも、中には認知症などで食欲などが正しくわからない人もいるんじゃないですか?」
俺「フム。君はマズローの原則を聞いたことがあるか?」
実習生「ええ。確か人間の欲求には本能的なものから社会的なものまで段階があるというものだったと思います」
俺「正確には(1)生理的欲求(2)安全の欲求(3)社会的欲求(4)尊厳の欲求(5)自己実現の欲求と5つに分かれているんだ。その中では食事は生理的欲求に入る。認知症になれば段々高度の欲求は感じなくなるが、基本的な生理的欲求はそう簡単には侵害されないんだよ」
実習生「それでは認知症の人が『もう食事はいらない』と言ったら食事は食べさせなくていいのですか?」
俺「認知症でも本能的な欲求はかなり信用できることが多い。だがこの場合、基本的な原則を思い出してみたまえ。施設や介護現場では人権なんて言葉は文字通り紙屑だが、それでも一応守らなくてはならない。認知症だろうが、なかろうが他人に迷惑をかけない限り本人の希望は尊重されるべきじゃないのかね?」
実習生「それはそうですが・・・」
俺「それと君は今『食べさせる』と言ったな?この言い方は他のベテラン職員もしているが、この『食べさせる』という言い方自体が自分たちのしていることが相手の希望に反していることを強制していることを表現しているんだよ。しかも、彼らは自分で『食べさせる』と言っておきながら相手に人権侵害をしていることを認めるどころか気づきもしない。お笑い種さ」
実習生「確かに今考えると・・・酷い話だと認めざるを得ません・・・」
俺「君は今、この無理やりフォアグラのように食べさせられている光景は酷い、人権侵害だと思うよな?」
実習生「ええ。勿論です。私はこんなことはしたくないです」
俺「いい心がけだ。それがまともな人間の言うことさ。でもな、君がもし特養など施設に勤めるようになれば、平気で利用者に無理やり食べさせられるようになるのさ」
実習生「!!そんな・・・!」
俺「施設って言うのはな、無防備でいると人間の一番醜い部分を曝け出すのさ。だからこそ、君自身の内面を常に直視する勇気と強さを持って欲しいんだ」
実習生「はい・・・・」
俺「それとよく考えて欲しいが、ここに入っている人たちは当然のことだが誤嚥しなくても死亡する可能性が高い」
実習生「確かに、高齢者ですから・・・」
俺「中には今日君に会って、明日には会えない人だっているかもしれない。老人施設では常に死が珍しくない。ここは終の棲家なのだよ。もうすぐ死ぬかもしれないのに、無理やり体重維持の為に食べさせる理由はどこにあると思う?人生最後なら食べ物ぐらい好きにさせて欲しいと本人たちは思うものではないかな?」
実習生「はい。。。。無理やり食べさせていることがどんなに酷いことか・・・やっとわかりました」
俺「それともう一つ。ここの老人たちはあと5年の内に全員死亡するかもしれない。でも、君は後何十年と行き続けるだろう?」
実習生「交通事故などに遭わなければ・・・そうかもしれません」
俺「もし、君が無理やり食事介助して誤嚥させ相手を死亡させたら、君は残りの人生その事実を背負ってすごさなくてはならないんだよ。事故とはいえ人を殺めてしまった、その後悔の念は一生消えない。君が生きている限り、君は自責の念に苦しむ」
実習生「・・・・」
俺「こうして君を指導したのも何かの縁だ。俺は自分が指導した人間がフォアグラをやるような介護者であって欲しくないし、また誤嚥で死亡させて良心の呵責に苦しむのも見たくはない。だから、これから介護の現場に入るときは今日俺が言った事を忘れないで欲しいんだ」
実習生「わかりました。本当に本当に・・・いろいろ教えてくれてありがとうございました」
エル・ドマドール