[88]介護者よ、己が虐待を知れ
いいかげん食傷気味だろうが、今回も虐待を中心に話を進めたい。
ところで諸君は虐待は何を指して、虐待と言うのかご存知だろうか?馬鹿な質問を・・・と思われるだろうが、世間の人々を含め福祉関係者さえも何が虐待なのか案外判っていないことが多い。当然のことだが、何が虐待か判らなければ自分がしていることが虐待かどうかも当然判らないことになってしまう。そしてただでさえ独善的な福祉関係者の中で自分が虐待していると認める者はまずいない。だが、俺に言わせれば虐待をしていない福祉職員などまずいない。まずは教科書のように虐待の種類から教えよう。
(1)身体的虐待
これは誰でもわかるだろう。文字通り殴る蹴るなどの物理的な攻撃のことだ。オムツをいじるのを防ぐためにつなぎ服を着たり、手にミトンをつけさせるのもこれに当てはまる。
(2)精神的虐待
言葉による暴言などを主に指すがその範囲はかなり広い。おむつ交換の時にその様子が周囲から見える状態にしているのも羞恥心を負わせていると解釈ができるため、精神的虐待に属する。
(3)性的虐待
文字通り、性行為の強要などを指す。詳細な解説は割愛する。
(4)ネグレクト
介護放棄、養育放棄とも言われる。介護や養育が必要な利用者を放置することだ。ナースコールに応答しないのもこれに入る。
(5)経済的虐待
本人が所持しているお金を渡さないことを主に指す。児童の場合、食事代や文具代などを渡さないことなどが(4)ネグレクトとこれに該当する。児童のお金は親が稼いだものだから、児童に渡す渡さないは親の裁量ではないのかという声が聞こえてきそうだが、最低限必要な費用は出す義務がある。
主な虐待として5種類紹介したが、是非覚えて欲しい大原則がある。それは「大人の人間が社会的にできることは誰にでもできる」ということだ。つまり、施設にいるから、障害を持っているから、子供だからという理由で「できない」と言うのは基本的に許されない。勿論、喫煙や風俗など年齢的な理由で止むを得ず禁止にされる場合もある。しかし、それでも基本的に自由意志は尊重しなくてはいけないのだ。この原則に沿うと、福祉で行われる事の多くは虐待になってしまう。
例えばどこの施設にもある無断外出防止策。利用者が施設を無断外出して、付近を捜索したり警察に届け出る事はよくある。無断外出した利用者を探す施設側の労力は大変だ。行方不明者が見つかるまで何時間でも探さなくてはならないのだ。しかも事故に遭う危険性も高く、その心労は経験したものでないとわからないだろう。そのため、殆どの施設はこのような事態を避けるためにナンバーロックなどで施錠し、簡単に外出できないようにしている。しかし、気の毒だが本来このような施錠策は許されない。また厨房や倉庫など危険なものを保管している所に入られるのを防ぐためにドアを施錠することがあるが、それも許されない。
「じゃあ、どうすればいいんだ?施錠しなければ外出されてどんな目に遭うかもわからないのに!」という声が聞こえてきそうだが、その矛盾こそが現在の福祉そのものだ。人権を尊重し、拘束は駄目だという。しかし、それら抜きに成り立たないのが福祉なのだ。
しかも、多くの福祉関係者が無意識にしていることは虐待に相当するか、人権を守っていないことが少なくない。その例を挙げよう。
―無断で写真を撮る―
お気に入りの利用者を携帯のカメラで写真を撮ったりしている介護者は実を言うと結構多い。本人の承諾があれば問題ないが、そうでない場合は「肖像権の侵害」に当たる。肖像権とは判りやすく言えば「自分の姿を勝手に写真に撮られない権利」だ。本人の承諾と言っても認知症や知的障害などで自分の権利を主張することができない場合は「写真撮影してはならない」と解釈しないといけない。どうしても必要な場合、例えば本人の身元確認の書類のために撮影する場合は承諾が得られなくても仕方ないが、そうでない場合は許されない。よく病院で褥瘡(床ずれのこと、同じ箇所を長時間圧迫して皮膚組織が壊死すること)など患部の写真を撮っているがあれも同様だ。褥瘡を撮られたい人など誰もいない。いい加減非常識なのでやめるべきだ。多くの施設では行事など事ある毎にベタベタ利用者の写真を撮って、無断でホームページなどに掲載しているが本人の許可を得ようとさえしていない。福祉関係者の人権感覚がいかに希薄かわかるものだ。
―通信を妨害するー
通信を妨害すると言っても何の事かわからないかもしれないが、手紙や電話などの連絡をさせないことを意味している。福祉施設ではたまに「家族に電話して欲しい」と訴える利用者がいる。その際、家族側は利用者から電話を何度も掛けて来られるのに嫌気がさして、施設に利用者に電話させないで欲しいと要請をすることがある。驚くことに施設側も家族からのこのような要請を受け入れることが殆どだ。かくして、「家族に電話したい」と訴えても連絡してもらえないかわいそうな利用者が発生するわけだ。ここではっきり言っておく。こんなものは犯罪に近い。原則として利用者が家族に連絡を取りたいと申し出た場合、それを断ることはできない。健常者はいつでもどこでも家族に電話できるのなら、障害者だろうが認知症だろうが電話する権利がある。「利用者に電話させるな」という家族の要請は基本的人権の見地からしても認められないし、施設側は断らなければならない。大体、施設に利用者を入れたら家族としての義務や関係がなくなるわけではない。勿論、深夜だったり、何度も電話するなどあまりにも社会常識に沿わない場合は仕方ないが、原則は最大限利用者の通信の自由を尊重しなくてはいけないのだ。
―金銭の所持を妨げる―
認知症などの理由で利用者に金銭を持たせないことはよくある。あるいは持たせても千円位など小額のことが多い。預かる理由は「本人が管理できない」「なくすから」などが多い。しかし、本人が希望する場合はたとえ管理能力に問題があっても金銭を渡さなくてはならない。それが認知症であっても知的障害があっても、何万円でも自分のお金を好きなだけ持つことができるのだ。お金を持つことは社会的人間としてのステータスシンボルと言ってもいい。福祉を受ける利用者からすると非常に大事な意味があるのだ。だから、彼らが「自分のお金を持ちたい」と言うのは当然の主張だし、それは当然の権利でもあるのだ。そもそもノーマライゼーションの理論を持ち出す福祉関係者は多いが、それと金銭の所持を制限している現状はどう見ても矛盾している。しかし、利用者側にも問題はある。現にお金を無くした場合、殆どが「お金を無くした(盗まれた)。探してくれ」と職員に泣きを入れてくる。お金を持つ自由があるなら、それを管理するのは自己責任だ。自由にはそれなりの対価と責任を果たさなくてはならないだが、それを理解している利用者は少ない。だからこそ、施設側が金銭管理に乗り出さなくてはならなくなるのだ。
エル・ドマドール
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