[91]ダイバーシティ
前回俺は福祉職員は多様性を受け入れられない人が多く、差別主義や偏見に陥りやすい人々が多いと述べた。今回はその点を議論したい。テーマ「ダイバーシティ」とは英語のdiversityと書き「多様性」を意味する。福祉関係者に限らず、ほとんどの人は多様性など判っていると主張する。だが、皮肉なことに案外多様性を実践できていないことが多い。今回はその点を重点的に説明しよう。
俺は実を言うと大学で福祉を専攻していた。その時に「差別問題論」という講義を受けていたことがある。最初の授業のことだ。てっきり「人種問題」や「部落差別」について学べると意気込んでいた俺は最初に教授に聞かれたことに拍子抜けした。教授は学生たちに次のような質問をした。
「君たちにとって高級料理とはいくらぐらいからを言う?」
この質問がなんで差別問題と関係あるんだよ?そう思いながら生徒たちは質問に答えていった。答えはバラエティに富んだものだった。貧乏な学生らしく「1000円以上」と答える人もいれば、社会人学生の中には「20000円以上」と答える人もいた。様々な答えを一覧して、教授はこう言った。「見てのとおり、高級料理と言ってもこれだけ皆の答えは違う。この差異こそが差別問題の本質だと思ってくれ」その時には俺はこの質問の意味がよく判らなかった。だが今は判る。教授は無意味な質問をしたのではない。いくらぐらいからが高級料理というのか?その答えは受験勉強と違い正解はなく、どうしても個人の価値観が前面にでてしまう。自分の価値観と他人の価値観の違い、そしてその違いをどう処理するのか?それこそが差別を克服する鍵なのだ。
多くの人々は口では人種や学歴を理由した差別はいけないと信じている。だが、それで差別や偏見と縁遠いかと言えばそうは言えない。多様な社会、多様な価値観が素晴らしいと主張していても、実際には多様性を受け入れるのはかなり難しい。ましてやこの社会には多様性の拒否を正当化できる言葉が善の化身として存在している。その言葉を使い、社会の多数派は少数派の異端者を弾圧している現実があるのだ。一体何の言葉だろうか分かるだろうか?それは「常識」である。常識には細かく言うといろんな意味があるが、自分と異なる意見の持ち主を弾圧する方便に使われている現実がある。だが、歴史を見れば明らかなように正しいと思ってきた常識は後世になって何度も否定されてきたし、少数派と言うだけで間違いだは限らないものだ。現にこのメールマガジンは福祉界でも少数派に属するだろう。だが、読者諸兄を始め俺自身もこのメルマガの主張が誤りだとは思わないだろう。常識など己のもろい主張を押し付けるための多数派の方便に他ならない。
「あんただってメルマガの中で常識って何度も使っているじゃないか!」俺に対してもそのような批判が聞こえてきそうだ。だが、その通りだ。実を言えば、俺自身も多様性とは程遠い頑固者だったりする。私事で申し訳ないが、例を出そう。俺は食事のときにふりかけや梅干を使ってライスを食べるのはマナー違反だと考えるタイプだ。ふりかけや梅干を使うのはおかずがない時だけで、おかずがあるにも関わらずふりかけを使うのは料理人に対する侮辱だと解釈する。だから職場でも利用者から梅干やふりかけを要求されると「おかずがあるんだから、梅干なんかいらないだろ!」と反発したくなるときがある。これは俺の親のしつけの影響が大きい。
だが、勿論俺は利用者にこのような強制をする事はない。この考えはあくまでも俺の価値観、生活習慣に過ぎないからだ。他人のそれとは違っていてもそれは仕方がないし、正しいとか間違っているなど白黒つけるものではない。他人に迷惑をかけない限り、利用者のそれまでの人生における価値観や生活習慣は尊重するべきなのだ。
多くの人は自分が培ってきた価値観、生活習慣、信条などを無意識の中に埋め込んでしまっている。これは介護者も同様だ。そのため、時折自分の価値観だけで善悪を決めて、利用者の自由意志をないがしろにすることがある。しかも無意識でやっていることだから自分が価値観の押付をしていることに気付かないことがある。対等な立場の者同士なら反論や抵抗はできるだろうが、利用者はどうしても介護者と比べても立場が弱い。だから気をつけないと人権侵害を知らない内にしてしまう結果になってしまうのだ。そうならないためには自分の培った文化を無意識から引っ張り出し、先ほどの俺の例のように自分が何を正しいと信じているのかという意識の元に置かなければならないのだ。
ダイバーシティを身につけるのは言うほど簡単ではない。口では「お互いの価値観の違いを尊重して・・・」など物分りのいい大人を装っても、本心は自分の「常識」が正しいと頑なに固執する狭量な頑固者であることは決して少なくない。自分が何を正しいと信じ、何を悪だと思うのかそれを自覚しなくてはいけない。これが自覚できないと偏見や思い込みのとりこになりやすいのだ。
またダイバーシティは人付き合いなどにも影響する。最近流行の婚活にしてもそうだ。結婚した3組の内1組は離婚するという。離婚をしていなくても殆ど夫婦関係が破綻している状態のカップルが3分の1、つまり上手く行っているカップルは3割ほどらしい。確かに全くの他人が一緒に暮らすとなると価値観や生活習慣で衝突することは必至だ。ダイバーシティはヒューマンスキルにも繋がる生きる技術なのだ。
エル・ドマドール
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