[92]プレジュディス(上)

2018年8月25日

前回はダイバーシティ、多様性について語った。多様性に次はプレジュディス(偏見)について語ろう。前回も言及したが、多様性に欠けているとどうしても偏見や差別主義に陥りやすい。これらは二つでセットなのだと言うことを強調しておく。自分が何を正しいと信じ、何が間違っていると信じているのか?それを知らない事にはダイバーシティを身につけることはできない。多くの人々は恐ろしいことに常識とは自分が正しいと思うことがどこでも通用することだと極めて自己中心的な世界観を身につけている。でもそんなナルシズムがどこでも通用するわけがない。世の中には多種多様な人々がいて自分の世界観が全てではないことを知らないと偏見と差別主義に陥ってしまうのだ。
―――常識とは20歳までに集めた偏見のコレクションである
                    アルバート・アインシュタイン
多くの人々は「差別」が良くないことは知っている。実際、老人施設などに勤務していると在日韓国朝鮮人を忌み嫌う人種差別主義者もいる。だがそういう人でも自分が差別主義者だとは認めようとしない。現代は教育が行き渡りそのような差別は良くないと理解されるようになった。しかし、人種差別、学歴差別、男女差別などの差別をしていないとしても果たしてプレジュディスと無関係だとは言えない。多くの人はたやすく偏見の虜になる。それを例をもって証明しよう。
先日心臓停止で亡くなったマイケル・ジャクソンほど全世界に影響を与え、注目された人物はいない。だが、その反面彼ほど偏見の犠牲になっている人もいない。多くのメディア、その中には権威のあるメディアでも彼の外観、特に何度も整形を繰り返している事や白色化した皮膚について批判的である。ましてや彼が外見に拘るあまり整形をしすぎているとか白人になりたいがゆえに肌を漂白してたなどは死者に対する侮辱以外の何でもない。マスメディアならばきちんと調べて報道するべきだろう。彼らの代わりに俺が諸君に事実を伝えよう。
最初の整形のきっかけは79年にステージの床に落ちて鼻を骨折した事故が原因だ。鼻を骨折するとどうしても外見が変わってしまう。このため、マイケルは止むを得ず鼻の整復手術を受ける。しかし、この手術が不適切だったために後に呼吸困難を訴え再手術を余儀なくされる。お分かりの人もいるだろうが、整形手術を一度受けるとどうしてもその後の定期的なメンテナンスが必要になる。場合によれば再手術もある。人の顔は年齢によって微妙に変化する。ましてや顔にメスを入れると思わぬ異変が起こることが多い。現にマイケルはその後も顎に中烈が入ったりしている。何度整形したのかはマイケル側が明らかにしないため不明だが、少なくとも止むを得ない選択だったのは確かだ。
そしてあの白い肌だが、あれは整形でも漂白でもない。あれは尋常性白斑、つまり全身の色素が抜けてしまう皮膚病なのだ。この病気はアフリカン・アメリカンの2パーセントに見られ、原因不明の難病なのだ。最初は体の一部だけ白斑だったため、黒いファンデーションで隠していたが、やがて白い部分が黒い部分よりも多くなってしまったため、白いファンデーションを使うようになったのだ。彼の死後、鎮痛剤や麻酔薬が大量保管されていたことがわかり、薬物中毒だったのではないかという疑惑もあるが、それは全身性エリテマトーデスという膠原病の一種にかかっていたためだ。詳しくは割愛するがこの病気にかかると全身激痛が走るため、ステロイドと鎮痛剤抜きでは日常生活も営めない。ましてや7月にはロンドンでライブをやる予定だったのだからなおさらだった。
マイケルの外観があまりにも変化しすぎる事を理由に彼を嫌う人は多い。しかし、それらは止むを得ない選択だった。事実を知ってマイケル・ジャクソンへの印象が変わった人も多いのではないのだろうか。ついでに簡単に語っておくが、ペドファイル(少年愛)も事実ではない。93年に性的虐待で和解金を払ったがこれは事実無根だった。長引く裁判に嫌気がさしたマイケル側は手っ取り早く解決するべく和解したのだ。しかし、この判断がマイケルに少年性愛者というイメージをもたらしたことは否定できない。2003年には性的虐待まで逮捕までされるが、2005年に無罪になる。マイケルを訴えた少年の母親はこの裁判での証言で福祉詐欺が発覚、後に有罪判決を食らっている。
皮肉なことだがマイケル・ジャクソンは人がいかにたやすく偏見に陥りやすいか証明している。ここでも多様性の問題が関係する。マイケル・ジャクソンの外観を見て、普通のアフリカン・アメリカンの外見と違うために違和感や嫌悪感を感じる人は多い。多くの人はその時点でマイケル・ジャクソンのイメージを悪い方向に決定付けている。そのために整形や白斑、少年愛について誤った偏見を信じてしまう。最初から結論ありきなのだ。自分の信じる常識以外の免疫がないために先入観が植え付けられると、それと違う情報が出てきても変更出来ないのだ。一度記録すると上書きができないCD~Rのようなものだ。しかし、状況は毎日変化している。昨日常識だったことが今日は非常識なことはよくあることだ。だから人間は上書きできるCD-RWでなくてはならない。だが多様性に欠けているとCD-Rのまま過去の誤った情報を信じることになってしまうのだ。
多様性を身に付けるというと多くの人は自分の自我やプライドを侵害されているようで抵抗することが少なくない。しかし、多様性を身に付けることは自分の信念や信条を捨て去れと言うことではない。ただ単に自分が信じている価値観が通用しない人も世界にはいる。そう認めるだけでいいのだ。
長い話になってしまった。プレジュディスはまだ終わりではない。次回も引き続き偏見について話をしよう
エル・ドマドール
【関連記事】
[91]ダイバーシティ