[119]優生学(2)

2018年8月30日

前回の最後で俺は果たして着床前診断で本当に障害者の誕生を100パーセント阻止できるのだろうかと疑問を呈した。今回はまずはその疑問から答えたい。結論から言えば着床前診断だろうが出生前診断だろうが障害者の誕生を100パーセント阻止することなどできない。そもそも染色体異常などで先天的障害を持つ胎児は殆どが幸か不幸か死産か流産してしまう。着床前診断が障害者の産み分けに繋がるという意見はあるのだが、だが着床前診断をしなくても誕生はできなかった可能性が高いのだ。
もし着床前診断で正常な受精卵だと診断されたとしても、果たしてそれで正常な乳児が生まれるかと言うとそれも違う。実を言うと殆どの病気や障害は遺伝子レベルではなく後天的影響が大きく作用しているからだ。脳性麻痺や知的発達遅滞、自閉症などは着床前診断をしても防ぐことはできない。なぜならこれらはあまり知られていないが、出産時の事故つまり陣痛促進剤による強引な出産によって起こされた障害であることが多いからだ。陣痛促進剤とは文字通り人為的に陣痛を起こす薬なのだが、投与されると恐ろしいことに胎児に十分な酸素供給ができずに出産する事故が多発する。それが脳性麻痺をはじめとする障害の原因になっているのだ。俺も以前に陣痛促進剤の弊害について述べたことがあるが、産婦人科医は勿論のこと小児科医もそのことについて語ろうとしない。
そもそも遺伝子についてはまだまだ判っていない部分が多く、未だにDNAの9割は何の情報や役割を持っているのか不明なのだ。遺伝子研究をすれば癌家系や糖尿病になりやすいなどが判ると言われており、性格的傾向まで判ると言われているが、突然変異により遺伝病や障害が発症することもあり、どんなに検査を受けても予期できないケースもある。
そしてこれが優生学最大の問題だが、障害者や先天性疾病患者を排除する「劣悪な遺伝要素」という根拠が後世の科学から見て全くの誤りであることが多いのだ。前述したようにかつてハンセン病患者を一般社会から隔離していた時代があった。これはハンセン病が遺伝すると信じ込まれていたためだった。しかし、後にハンセン病は遺伝とは全く関係がない事が明らかになる。なんてことはない。誤った見解でハンセン病患者は政府と科学者の偏見のために犠牲になったのだ。今も昔も医療や科学は何度も過ちを犯してきた。科学者や医師は誤りを犯さないわけではない。それどころか科学は時に偏見のコレクションでもある。だが、自分たちが一般の人々よりも高い知性を持つと信じる人々はその独善性や傲慢さ故にこのような悲劇を繰り返したのだ。
その当時は常識と思えても後の世からは単なる誤りと断罪されることは科学や医療の世界では珍しいことではない。障害者同士で結婚して子供をもうけても、障害が遺伝するわけではないし、人種間の結婚も遺伝的な問題を起こすわけではない。優生学の非人間性が暴かれた後、優生学者たちは非難を避けるために人類学や遺伝子学に続々鞍替えした。しかし、今でもその優生学の名残は生きている。
とある欧米企業では採用の際に血液を採取して、その遺伝子を調べて性格的傾向や将来なりやすい病気を調べる事があると言われる。つまり遺伝子を調べて、かなり短気で癇癪を起こしやすかったり、医療費が高くなりそうな脳腫瘍の病気になりそうだと判断すれば不採用にすると言うわけだ。人種や障害の有無による差別が性格やなりそうな病気に替わっただけだ。かつての非人道的な優生学の誤りが繰り返されていると感じるのは俺だけだろうか?足利事件でも明らかになったようにDNA鑑定に絶対性はない。科学者たちは今はもっと正確に鑑定できるようになったと反論するだろうが、果たしてDNAで性格や将来かかる病気を100パーセント予知できるだろうか?
21世紀になった現在でもどうして優生学が無くならないか?基本的人権や差別の禁止を建前とする近代社会では優生学の流行る余地はないはずだが、未だに無くならない。俺はこのことに人間社会が抱える業を見るようでならない。人間はどの社会でも精神的に脆弱で不安を抱えながら生きている。優生学も「劣等な遺伝子を排除して自分たちの遺伝子をクリーンにしたい」という傲慢さの表れだが、ある意味未知なるものへの恐怖や不安がベースになっている。もし仮に優生学で障害者や有色人種などのマイノリティーを排除しても彼らはそれで満足するだろうか?自分たちの弱さや不安と向き合わない限り次の排除対象を探すだけになるような気がする。
エル・ドマドール