[118]優生学(1)

2018年8月30日

前号で阿久根市長竹原信一氏の問題発言を紹介した。その際、俺は発言の内容そのものが全くの誤りであると述べた。しかし、彼の発言を非難する人々は内容の正誤よりも、その障害者に対する見解に反発したようだ。とりわけ障害者を出生前に排除するべき、優性思想を思わせる意図には強い非難が殺到した。市長はブログで「障害者差別の意図はない」と否定したがあとの祭りだった。障害者を出生前から排除しようとする優性思想は今の日本社会ではタブーとされており、誰もそのことについて積極的に議論しようとしない。しかし、福祉を語る上でこの事は避けて通ることはできない。ましてや俺のメルマガにタブーは許されない。今回は優生学について語ろう。
少し優性思想、いわゆる優生学について説明しよう。優生学とは人類の遺伝子素養を改善することを目的に悪質な遺伝要素を排除して優良な遺伝子を持った人類を作ろうとする学問の事だ。
ここでいう「劣悪な遺伝要素」と言うのが何に当たるのかが問題で昔も今も物議をかもしているのだ。ここで障害者、有色人種などが「劣悪な遺伝要素」と見なさていた時代があったのだ。日本でもハンセン病患者が強制隔離されていた時代があったが、その目的はこれ以上ハンセン病患者を増やさないために子孫を作らせない事だったのだ。福祉国家と知られるスウェーデンでもかつては障害者に不妊手術を施すなどしていた時代があったのだ。そしてこの思想が極端に発展してしまったのがナチスが行ったホロコースト政策だった。それまでの優生学政策が不妊手術などで生殖手段を断つことによる消極的な方法だったのに対し、ナチスの取った政策は積極的に「劣等」と見なしたマイノリティーを排除し始めたのだ。しかもそこには「劣等」と見なされたユダヤ人だけではなく、ジプシーや障害者も虐殺されたのだ。ナチスの蛮行を非難する書籍や映画には事欠かないが、なんてことはない。他の国もその根本は五十歩百歩なのが現実だ。
日本でも2004年に神戸のある産婦人科医が学会の方針に認められない着床前診断を行い物議を醸したことがある。好ましくない出産、つまり「先天的障害者の出産を阻止する」産み分けを行うのかと非難されたこの病院の言い分はこうだ。「妊娠中に行う羊水検査や超音波診断で胎児が障害者であることが発覚した場合、高い確率で中絶につながってしまう。それなら受精して子宮に着床する前に診断すれば、望まれない妊娠を避ける事ができるではないか」つまり受精卵を調べて将来障害を持つことが判ればその受精卵を排除する。これなら胎児を中絶するわけじゃないから非難もされないというわけだ。しかし、どちらにしろ障害者の誕生を阻止していることに違いはない。
こんな代物は障害者にとってはたまったものではないが、それでも出生前診断や着床前診断を望む親は少なくない。良くないのは承知で言うが、俺はその気持ちは十二分に理解ができる。先天的障害を持った子供を育てるのは並大抵の苦労ではない。社会からの差別や偏見、特に障害児を生んだ親は「親に遺伝的に何か欠陥があるのでは?」などと中傷されることも未だに少なくない。どれだけ社会システムが変わっても障害者が生きていくのに苦労するのには変わらない。それならいっそ生まない方がいいのでは・・・と考えてしまうのは人情だろう。だが、出生前診断と着床前診断では本当に100パーセント障害者の誕生を阻止できるのだろうか?この続きはまた次週に語ろう。

エル・ドマドール