【第23回】特別養護老人ホームの実態(12)~恋は最高の薬・その2~
前回のTさんとSさんの半世紀を越えた恋の行方はどうなったか。いきなり結論を先にいうと マディソン郡の橋の高齢者バージョンになった。一週間ではなかったが三ヶ月は続かなかった。長くはなかったからこそ美しく輝いてみえたに違いない。夫婦というのは年月を重ねると空気のような感じになるらしい。お互いに異性という緊張やときめきはそんなに長い間維持できるはずがないというのが筆者の意見である。
駅の改札で、別々のホームに別れていく時が妙に寂しい恋人時代。一緒に同じ家に帰るという事が嬉しい新婚時代。子供の後姿を髪振り乱して追いかける子育て時代。このあたりから手をつないで歩いたり、二人きりで食事や旅行に行くこともなくなる。で、同じ部屋にいてテレビだけがしゃべり、味噌汁をすする音しかしない食卓になる。寝室もいつのまにか、別になっていたりする。
そういうのが年輪を重ねた夫婦の在り様だと思っていると、高齢者になると熱い抱擁や接吻をしたりするのが妙になまなましく、いやらしくみえるのはなぜだろうか。白髪やつるつる頭であれば、寄り添っているのは不自然なことなのだろうか。同衾という言葉を引いてみるのもいいのではないか。私の勤務先の特別養護老人ホームは夫婦で入所なら、当然2人部屋に一緒にベッドも並べて寝ていただくことにしていた。むろん夫婦というのは法律的でなくてもいい。事実婚であっても構わないから、できればカップルは同じ部屋にしてあげたいのが人情というものだろう。
家族にお話して了解を得て同室にさせていただいたケースも確かにあった。まあ、相続の問題にならなければそんなに構わないと思いきや、年老いて要介護状態になっている親が異性と交際するということ自体に拒否反応を示すご家族が多い。異性に関心を持たなくなることの方が人間が枯れて来たと心配して欲しいのだが。
デイサービスでも一番盛り上がるのはフォークダンスもどきや集団お見合いのような男女がペアになる場面のある催しである。セクハラにならない雰囲気でほのぼのに持っていくのがいい。「握手する」というバツゲームぐらいならいいがSさんは幼馴染ではあってもけ っして人生の大半においては接点がなかった。お互いの人生は半世紀を過ぎて再び交差したのである。なんとかまとめてあげたかったが、Tさんの再発作と入院、死亡が再び2人の仲を引き裂いたのであった。
さよならは突然来た。死が二人を分かつまで暖かく見守ってさしあげたいと思っていた矢先であった。寒い早朝だった。4人部屋から静養室にストレッチャーで移動するのをまるで待っていたかのように車椅子のSさんが来た。無言のままであったが、何かを理解しているようにベッド脇にすすんだ。嘱託医が到着するまでのわずかな時ではあったが二人だけの時間が流れた。大勢の職員が駆けつけたし、看護師が忙しく手当てをしていたのだが二人の心の空間には入りこめる余地がなかった。苦しそうな呼吸音だけが響いていたように覚えている。
意識は戻ることなく、3日後に病院にて亡くなった。Tさんは奥さん、お孫さんに看取られての87歳3ヶ月と2日の人生だった。Sさんは病院に見舞いに行きたいとも逢いたいとも一言もつぶやくこともなかった。むろん、お葬式にも行くことはなかった。どうでもいい事だがSさんは20歳台で旦那さんを亡くし、子供2人を女手で育てあげて晩年はひとり暮らしの上、老人病院入院、特別養護老人ホーム入所であった。
最近施設には仏間や神棚、祈りの部屋等宗教の部屋があるところが増えて来た。宗教や死は施設のタブーではけっしてなく、逆に人生の最後をどう迎えたいか、入院を希望されず施設で息を引き取りたいという方も徐々にでてきた。正に死に方を自己選択できる第一歩かもしれない。Tさんのご家族にはついにSさんの存在は伝えないままに結果としてはなってしまった。意図的ではないにしろ、やはり何も事情の知らぬTさんの奥さんには理解できないTさんの人生のひとコマだったに違いない。Sさんはお元気で現在なお施設で静かな生活を送られている。
施設内の素敵な恋愛を語ったあとにムードをぶち壊すが次回は色ボケの人々の話をいたしましょう。お楽しみに。
2006.01.10