東莞でひと仕事終えた私たちは、香港のチャクラプコック空港のイタリアンで遅めのランチを取り、ホーチミンのタンソニヤット空港に着いたのは夕方 6時前でした。ここでは3つの通りに面したコロニアル・スタイルの有名ホテルに投宿。現在5つ星を目指して改装中で不便はあるものの一度泊まりたかったホテルです。東館と西館をつなぐ長い廊下がありますが、片側はベトナム名物の漆絵がずらりとかけられ、もう片方はモノクロのベトナム人の写真がずらりとかけられています。あでやかな漆絵と対象的なモノクロ写真、ひとりひとりの人生まで写しこまれているような写真たちが印象的でした。
翌朝は、ドンナイの工場から工場長がホテルまで迎えに来てくれました。ドンナイ省はホーチミンの東隣で、ホーチミンからハノイへと1,600km 続く国道1号線に沿っての1時間半のドライブです。サイゴン川を渡り、ドンナイ川も渡りますが、いずれもメコン川の支流です。支流と言っても川岸にはコンテナが山積みされています。「どうしてこんな所にコンテナがたくさんあるのですか?」「川から積みだすんですよ。もちろん、大型船は入れませんが。」と工場長。あとで調べると5,000 トン級の船が入れるそうです。島国ニッポンの住民としては川を使ってコンテナを輸送するなど想像もつきませんでした。
工場は2階建てで、1階は体育館のように広い工場、吹き抜けになっていて建物の一部だけに2階があり、事務部門や商談室に充てられているというアセアンに多いスタイルです。商談中に相手の声が聞こえないくらい雨が轟音をたてて降ってきました。ベトナムはまだ雨季で、1日1回は必ずスコールがあります。工場長によれば、まだこれでも雨季の終わりに近づいたので雨量が少ないほうで、盛りには昼でもライトをつけて車を運転するほど真っ暗になるそうです。それでも雨が降るだけ涼しく、乾季は暑くてたまらないといいます。工場は国道1号線より若干低く、ときどき浸水してしまうのだとか。昔観たフランス映画「ラ・マン(愛人)」にもスコールで家が浸水し、家族で水を掻き出すシーンがありました。
工場周辺には良いレストランがないのでと、工場長は台湾企業が投資しているゴルフ場を有したリゾート・エリアまで昼食に連れて行ってくれました。途中整然と植えられた林の中を通りぬけていきます。北欧で見た林を思い出させる実に美しい緑です。樹液を採るためのカップのようなものが1本1本につけられているのを見つけ「ゴムの木ですか?」と私。「そうです。この辺は多いですよ。」これまたかつてのカトリーヌ・ドヌーブの映画「インドシナ」の光景とオーバーラップしました。
ゴルフ場のレストランのメニューは日本、韓国、中国といろいろでお客さんたちの国籍が容易に想像できます。私は韓国インスタントラーメンをトライしてみました。工場長が「日本人には辛いですよ。」とアドバイスしてくれましたが、確かにスープは私には辛くて飲めないものの麺はインスタントとは思えないほど。工場長はざるそば。「韓国の方はざるそばがお好きなんですね。」と昨夜のディナーの話をすると、「あの韓国料理屋にざるそばなんてありましたか?韓国人はだいたい日本料理が好きだと思いますよ。でも高いからしょっちゅうは食べられませんけどね。」インドネシアでも韓国系の工場を何社か訪問したことがありますが、韓国の方々は日本人に対しとても親近感を持って接してくれるような気がします。異国で出会ったお隣さんといった感情なのでしょう。
午後から工場のラインごとに見学をしましたが、ベトナムは中国にくらべて人件費がもともと安い上に福利厚生部分は国家負担なので投資する側としては非常に助かるようです。ただし、解雇はできず長く勤務すればベースアップはしていきます。この工場では勤続5年を越える労働者が増え、ちょっぴり頭が痛いものの、東莞の工場よりは品質が良いことを工場長は誇りにしていました。
帰りは大きな黒い瞳とやさしい笑顔が印象的なベトナム人の運転手さんが私たちをホテルに送ってくれることになりました。工場を出る際は事務部門のスタッフが全員起立してお辞儀をしてくれるあたりはちょっと中国とは違う景色です。車の窓をあけ「カムサハムニダ(ありがとうございます。)」と挨拶をすると工場長は雨もやみかけ熱帯の陽射しが戻った中で最敬礼で見送ってくれました。
河口容子