第19回 脳梗塞

2018年8月29日

こんにちわ。永礼盟です。ご購読ありがとうございます。

さて、我がホームに転倒事故がありました。転倒と言っても、大きな物ではなかったようです。自立されている方なのですが、食事が終わり、席を立とうとしたとき、その場に座り込んでしまったような形です。

施設長が対応し、看護士に報告後、受診の指示が来ました。私は、出社すると、調度病院へ出発する場面に遭遇しました。転倒と聞き、骨折や捻挫などの怪我を心配しました。しかし、施設長の話を聞くと、別の不安も生まれました。

転倒後、気になる事があったようです。特に、外傷はないようで、痛みの訴えもないのですが、右手に力が入らないとのことでした。手を持ち、その手を放すと、ダラ~ンと自分の力では支えられないようなのです。ご本人も、「いかんなぁ。いよいよ、頭に来たか...」そうおっしゃっていたそうです。

整形外科と脳神経内科の両方を疑い、受診がされます。リーダー補佐が、同行しました。まず、整形外科に受診すると、直ぐに神経内科に行くように言われたようです。診断は、脳梗塞でした。

軽度の脳梗塞で、早期発見だった事が幸いし、麻痺は残らないだろうと言われました。そのまま入院となり、ホームでの生活が可能になったら、また戻ってこられる事になりました。しかし、問題は、この方の性格にありました。

病院で、いっさいのリハビリを拒否してしまったそうです。それどころか、点滴は外してしまう、ベッドからおりて転倒してしまう、看護士に悪態をつく、お見舞いに行く度に職員が目にする光景は、ナースステーションの前に、点滴をぶら下げ、看護士に悪態をついているその人、島田様の姿でした。

島田様は、痴呆があります。脳梗塞で入院したという事を、説明申し上げても、「馬鹿なことを言うな!ワシは、この通り元気なんだ!」そう言って、立ち上がろうとして、何度も転倒しかけているそうです。ベッドの横には、抑制帯が置いてあり、病院で抑制されているのではないか?と、お見舞いに行った職員の記録が残っていました。

数週間の入院後、いよいよホームに戻られることになりました。施設長と、ホームの看護士、ケアマネージャーが、病院から申し送りを受け、我ら職員に情報が伝えられます。病院では、リハビリの一切を拒否されていたので、右側麻痺が残ってしまった。麻痺を認識していないために、ベッドから降りてしまい、転倒されることが何度もあった。排泄は、オムツだった。食事は、刻みの治療食。おかゆ対応。病院からの情報は、それぐらいで、我がホームで出来ることは?していかなくてはいけないことは?それを職員に、伝えられます。

麻痺側を、使ってもらう為にはどうしたらよいか?を言い渡されます。リハビリを促してしまうと、「馬鹿にするな!」と拒否があります。島田様のプライドを傷つけずに、如何にしてリハビリを行っていくかが課題となりました。病院での様子を見た、ホームの看護士が、「とにかく気を長く持って欲しい。」そう発言していました。ケアマネからは、週に決まった回数の訪問リハビリを行うことを申し伝えられました。それ以外は、日常生活のおいて、なるべく右側を使うことでリハビリを行っていく方針だそうです。ホームでは、全てご自分で身の回りのことをされていた島田様。我々が、身の回りのお手伝いをすることに、混乱することが予想されます。ここを如何に自然に、如何に普通に行うかが、自分の課題としました。ごり押しでなく、強制でもない、当たり前のように出来るだろうか?心に、不安を抱えつつ、新たな決意を抱きました。

もう一つの、注意事。それは転倒の危険でした。転倒の危険に、抑制と言う言葉が付きまといます。それは、絶対にタブーです。ケアベッドの手すりを必ず、付けるとホームで話し合いましたが、これも抑制になります。しかし、ケアベッドの手すりを外すことが、転倒の危険を高める。難しい問題に、職員の溜め息が聞こえました。病院では、手すりを外してしまうので、手すりをベッドに縛り付けていたようです。ホームでは、手すりは付けても、それ以上の抑制はしない事を言われました。どうして行ったら良いのだろうか?話し合いは、職員一人一人が力を合わせて行くしかないと締めくくられましたが、結論は出ていませんでした。

しかし、島田様は、退院されてきます。不安を隠せない自分が居ますが、それは他の職員も同じ事。情報を共有しながら、進んで行くしか道はありません。今は、出口の見えないトンネルの中ですが、島田様とどのように接していくかを、今後書いていこうと思っています。数日後、その闘いは始まります。

正直に言って、その闘いから、逃げ出したい自分がいます。

2003.07.04

永礼盟