第52回 散歩

2018年8月31日

こんにちわ、永礼盟です。ご購読ありがとうございます。ずいぶんと、暖かくなってきました。花粉症の症状も例年に比べ大人しく感じ、今年は良い春だと感じている今日この頃です。

春の陽気が心地よい日に、利用者様と散歩に出かけました。なんって言ったら良いのか難しいんですが、ボーっとするには最高の日でした。ホームの近くの公園まで行き、砂場で遊ぶ子供達を眺めました。

以前、他のホームにコンサートを見に行った時の話を聞いたのですが、懐かしい曲を沢山やってくれてとっても良かったと語った後に、とても言いづらそうに「あたしも年寄りだから何とも言えないんだけどね、大規模なホームでしょ?あれだけ年寄りが集まると、何とも言えない気持ちになるのよね。」と切り出されました。

音楽を聴くよりも、その年寄りだらけの空間にすごく滅入ったと語られ、とてもドキッとさせられました。子供からはパワーを得るが、老人からはパワーを吸われると教わった事を思い出しました。

楽しんでもらおうと思ってお連れしたコンサートでしたが、そう言うこともケアの注意点だという事を思い知らされました。勿論、コンサートに行った事を責めているのではなく、そのオーラと、自分の未来に複雑な気持ちがしたのだと語られました。

その話を聞きながら、一心不乱で砂に集中する子供達を見ながら、「私たちにもあんな頃があったはずよね?」それからしばらく何も会話はなく、プラスチックのシャベルで砂を掘る音、飛行機が飛んでいる様なそうでない様な音、遠く聞こえる車の走る音、色々な音がその空間を埋めていました。

楽しんでもらいたいと言う気持ちから企画したコンサート。そこに集まった利用者を見て滅入る利用者。いったい、自分たちは何のために存在し、何のために苦しみに耐えているのか?

その利用者は、我々を悩ませようとして発言したのではない事は分かります。しかし、現実を叩き付けられた感じがして、ストレートパンチをもろに食らってしまったような衝撃を受けました。

年寄りだけが、入居可能な老人ホームと言う文化を、考えてしまいました。

2004.03.23

永礼盟