第82回 二つの死

2018年11月13日

こんにちは、永礼盟です。ご購読ありがとうございます。日に日に寒くなって来ました。体調を崩さないように気をつけたいですね。

時間の経過とともに、我がホームも変わっています。その事を痛感するのは、在った姿が無くなった時です。終身で利用されているので、『死』は当然やってくるのですが、その姿がない事に、心に隙き間が出来た感じがします。

先日、増岡さんが亡くなりました。偶然、職員が全員出社している日でした。台風と共に激しく、そして静かに、息をひきとられました。様態が変化したとき、誰もがすぐにやって来る『死』を予期しなかったでしょう。でも、声かけを行ったり、背中をさすったり、職員全員が増岡さんと関わる事が出来ました。病院で息を引き取りましたが、我々職員にそう言う機会を与えてくれたような錯覚に陥ります。

人が亡くなるとき、残された人に色々な思いを植え付けて行きます。何が幸せな『死』か解らないけど、増岡さんは我々の『気持ち』に囲まれて亡くなったと思います。命の灯火を消すとき、一方的なエゴですが、何か『させてもらう』という事は、残された者にとって、とても重要な気がします。増岡さんは、家族に見守られながら息を引き取る事は出来なかったけど、家族同然の人々の『気持ち』に見守られながら『死』を迎えたと思いたいのです。

老人ホームには、色々な方が入所され、色々な理由があるのだと感じます。一本の電話が鳴りました。入院されている桂様のご家族からでした。「昨晩、母が亡くなりました」。リーダー補佐が対応してくれましたが、恐かったと言っていました。一方的に、怒鳴りつける様に電話を切られたそうです。増岡さんと時期を同じくして、一つの命の灯火が消えました。立ち上げ当初から、お手伝いさせていただいた方でした。

桂さんは、職員から人気がありました。その笑顔と、飾らないキャラクター、関わる人に癒しを与えてくれる桂さんの事を、みんな大好きだったのです。こんな事は許されませんが、絶対にあるのは『好き嫌い』です。利用者の中には、顔を見るのも嫌、声を聞く事すら嫌って言う人もいます。勿論、そんな事は公に出来ないのですが、職員は『好き嫌い』を心に隠し、ケアにあたります。その『好き嫌い』は、機会があったら書かせて頂きたいと思いますが、桂さんは間違えなく『好き』と言う気持ちでケアさせてもらっていたと思います。

痴呆があるので、意思疎通は難しいのですが、素っ頓狂な返答が返って来たり、素朴な表情に心奪われる職員は少なくありませんでした。しかし、その桂様のご家族は難しい方でした。

体が弱って行くのは、老人ホームのせいだ。お前らがちゃんと見ないから、母は悪くなって行くんだ。そう言う気持ちが、言葉でなく、その人のオーラで感じ取れます。この家族と関わる事が、自分の一番辛かった事かもしれません。信用されていない人と接するのは、大変労力を要します。桂様ご本人のケアと、ご家族ケアの両方を視野に置かなくてはなりませんでした。亡くなったと連絡をもらったときに、「もう、あの家族と接しなくて良いんだ」。と言う気持ちが生まれました。これが、自分の嘘偽りない気持ちです。最低なヘルパーです。でも、これが本当の腹の中です。

増岡様の葬儀は、ご家族の理解と共に進められたように思います。葬儀の写真は、リーダーと保証人様とで、「これが増岡さんっぽい。いや、もっと若い頃の顔も良い、これはちょっと増岡さんにしては、表情が暗い」そんなやり取りの中決められたそうです。お通夜に行って、若いけど今の面影が残っている写真を見て、良い写真だと思いました。増岡さんが可愛がっていた猫のぬいぐるみは、間違えなくリーダーと職員の手でひつぎの中に入れられました。天国で寂しい思いをしないでと言う願いが込められて。

桂様の葬儀は、ホームから誰も来てくれるなとの事で、お焼香すらさせてもらえませんでした。信用されていなかったけれど、心からお手伝いさせて頂いた事は間違えありません。仕方がありませんが、ちょっと複雑な気持ちがします。病院へお見舞いに伺うと、点滴の跡だらけの腕が痛々しかった桂様。そんな姿を我々も見たくありません。その気持ちは、ご家族同然です。私は、信用されませんでしたが、自分が出来る事は出来たと思います。最後まで理解してもらえなかったけど、私の気持ちは桂さんを想っています。理解してもらえなくても良い、自分が納得する事を自分で行う事が出来たのなら。それが自分の信念。最後のお手伝いは出来なかったけど、心からご冥福をお祈りいたします。

対照的な『二つの死』が、今年の冬の始まりでした。

2004.11.19