【第34回】在宅系老人ホームの実態(第3回)~帰宅願望~

2019年3月21日

前回のSさんの話がけっこう、重くて真面目なお話になってしまい、失礼した。ここのところ、雨が続いていて、気分もめいりがちなのにさらに一日中病室みたいな個室を出ることなく、パジャマのままベッドに寝そべり一日を過ごしているSさんの姿にはやはり心ひっかかるところがある。

Sさんがもう1つ1年あまり居ついた部屋を住処と認識しないのは、台所がないからではないかとの現場の意見があった。住まいとホテルの最大の違いはまさにキッチンのあるなしがキーポイントとなっていることは間違えないだろう。普通のホテルで洗面、トイレ、お風呂付は標準装備であるが、簡易にしろキッチンは付いているところは少ない。洗濯機は外においているところもあるので、あまり気にならないだろう。特に女性にとっては台所というのは高齢になっても自分のなわばりというか、陣地であるという意識は多かれ少なかれ存在しているように感じる。料理が好きとか、嫌いとかもあまり関係ないように思える。主婦という位置づけのもっている砦なのかもしれない。

グループホームという在宅と施設のあいのこのような施設は、個室になっているが、台所やリビング(お茶の間)の機能をとても重要視している。生活の中に食事づくりや家族的な団欒があると想定してそういう空間を積極的に活用したケアを実践している。Sさんのような方は本来は高齢者集合住宅やグループホームの生活に適合した方であり、ショートスティ、それも社会的入院を持ち込んだ暮らし方ではいつまでも流浪の民であり、心の安らぎを得るのは難しいに相違ない。一日単調な生活の中で認知症にかからないのは、たぶん常に我が家ではない緊張感を強く持たれているからであろう。一人暮らしの復活は当然無理なことは本人も認識している。今は頼れる先もない。不安が依存心に変わり、自らの生活圏を狭め、自虐行為のような引きこもり状態を作り出しているように思える。

お預かりしている施設はあくまでも在宅支援の一環としてのサービス提供なので、財産管理の代行や積極的に相談にのるのは立場上難しい。Sさんは月々ショートステイの自己負担として二十数万は支払いがある。食費や居住費をいただくように介護保険法の改正が行われてからより自己負担は増加したはずである。その他にご自宅の維持費(電気、ガス、水道も基本料金はかかるので)を負担し、医療費も負担されている。社会的入院も合わせると自宅にはざっと10年はお帰りになっておられない。年金だけでなくて資産をお持ちのようだと職員はもっぱら噂しているが、今のところ支払いが滞る雰囲気はない。帰巣本能に近いものがあるのかもしれないがショートスティのロングという特殊なスタイルで自分の気持ちを支えているのはとても大変なことでさぞつらい思いをされていると察している。

施設で晩年お暮らしになる方々で、認知症がそれなりに進行してもあまり共通して起こる症状のひとつとして起こるのが帰宅願望である。言葉に出して「帰りたい」とはっきりおっしゃることは予想されるよりは実際少ないように思われる。多くの方が「そろそろ、うちに帰らないといえのもんが心配しますんで。」とか、「仕事はおわりましたからお先に失礼いたします。」、「子供たちがおなかをすかして待っていますので。」・・・いろいろあるが、ここが自宅ではないこと、自分の魂の置き所ではないことを異口同音におっしゃる方が多い。無言で施設から出ようとしたり、落ち着かなく不穏の状態になるのも黄昏時が多い。どこにいるかはわからなくなってもここが自分の家でないことがどうしてわかるのかは言葉では説明が難しい。「今日はもう遅いのでもう一晩お泊りくださいませんか?」とお話することもよくある。これはショートスティのような中途半ぱな施設でも入所施設、老人ホームでもあまり大差ないと思う。

では家というのは人間の生活にどのような意味があるのだろうか。中年のサラリーマンの皆さんはどうしてそろって住宅ローンを背負い込んでまでマイホームが欲しいのだろうか。家は自分がお墓に持っていけるものではない。不動産だから当然だが。ただし、マイホームには家族との生活や自分の人生の思い出が存在するのだと思う。

子供たちが大好きな絵本に「ちいさいおうち」(福音館)本がある。これは高齢者に読み聞かせをする中で人気がある。世代と家族と、四季、時代の変遷をちいさいおうちはずぅっと見守り続けていくストーリーである。まだお読みになって折られない方はぜひご一読を。次回はディサービスのお話をいたしましょうね。

2006.06.11