[09]生活保護

2018年8月25日

先日ニュースを見ていてこんなシーンを拝見した。大阪府で「水際作戦」と称して生活保護の申請者をなんだかんだと難癖を付けて、追い返してしまうのだ。そのドキュメンタリーが放映されていた。要保護者(生活保護を申請する人)が一人で市役所の窓口に行っても梨の礫なのに、弁護士と同行するととたんに愛想が良くなり、申請用紙を快く渡していたのだ。
念のために生活保護を知らない人の為に説明しよう。ただしエル・ドマドール風にちょっと風刺を込めてだ。生活保護とは日本国憲法第25条の「生存権」を元とした公的扶助制度だ。第1号で説明したようにその狙いは貧民たちを税金で保護し、社会の安定を図るという福祉の目的をこれ以上ないくらい露にした制度だ。悪く言えば金持ちが富を維持するために貧乏人になけなしの金を与えて黙らせる制度と考えればいい。
この生活保護だが最近格差社会の進行とともに受給者も増加している。受給者は2004年には99万世帯。受給者は140万人を突破している。一人当たりの平均月額は14万円。国家予算を2,5兆円消費している。歳出の3パーセントにあたる。
福祉に勤めていると否が応でも生活保護とは何らかの縁があるものだが、福祉関係者はこの生活保護にいい印象をもたない人が少なくない。第7号でも書いたが福祉関係者は洒落にならない貧乏人が多い。いわゆるワーキングプア、年収で言えば100万円台も珍しくない。そのワーキングプア介護職にとって生活保護を貰っている人がどう見えるかは大体想像つくだろう。
生活保護受給者はそこら辺のワーキングプア介護職よりも収入がいい事が少なくない。一人当たりの平均14万円はあくまでも平均だ。世帯単位になればもっと高額になる。例えば母親1人小学校に行く子供3人のモデルケースだと30万にもなるという。確かに一人当たりに換算すれば低いかもしれないが、一家の大黒柱が30万以上貰える世帯は今のご時世いくらいるのだろうか?
しかも悪いことにただでさえ不評を招きやすい被保護者(生活保護をすでに受給している人)だが、さらに本人自らの言動で悪評を招いていることが少なくない。誤解を招かないようにここで言っておくが、被保護者はどうしても自力では生きていけないからこそ生活保護を受給している人が大半だ。しかし、中には明らかな不正な受給者もいる。
かつて北九州市では約9000人弱の受給者の内、なんと2割にあたる1800人が自動車を保有していたことがある。自動車など処分できる財産があるうちは勿論生活保護は認められない。しかも、彼らが自動車で事故を起こしても賠償能力がないということになってしまう。これでは社会的に生活保護受給者を許容しろといっても無理な話だろう。しかも、福祉の現場では不正受給は無くても、被保護者のモラルの無い行動を見聞きすることがよくある。
実際俺の知り合いの介護職員は生活保護受給者を本人のいないところで「社会のごくつぶし」と陰口をたたく。勿論彼女は最初から被保護者を嫌っていたわけではない。被保護者がパチンコなどのギャンブルや風俗に生活扶助の金を無駄遣いするのを見て、「わたしが苦労して払っている税金はこんな連中のソープ代に化けるわけ!?」と怒り心頭に発したわけだ。
生活保護の窓口社会福祉事務所でも要保護者や被保護者を大声で罵倒する職員が珍しくないという。およそ公僕にあるまじき態度だが、彼らも人間だ。生活保護受給者がそのお金をありがたみも感じず、無駄遣いしているケースを彼らも良く知っている。自分たちの納めた税金を社会的にも価値の無い人々に遣われる。こう聞くと「水際作戦」をする気持ちもわかるような気がしないだろうか?
しかも、生活保護に関しては福祉事務所の担当者たちもその存在意義にはかなり疑問を感じている。元々生活保護とは当たり前のことだが、生活困窮者を一時的に「保護」して自力「更正」を促すものだ。しかし生活保護受給者が自立できているかというとそうとは言えない。役所がいくら支援しても、たとえ被保護者が自分で働く能力があっても自活できたケースは少ない。なぜだかわかるだろうか?黙っていても金が天から降ってくるなら誰も汗水たらして働こうとはしないからだ。人間は元々怠惰なところがある。ましてや生活保護を受けて自立するような自律性の高い人なら元々生活保護受給者に堕落しない。皮肉なことに生活保護は被保護者の自立心を阻害するところがある。だからこそ、窓口の事務員はやり場の無い無力感や苛立ちを弱い人々に向けるのだ。
エル・ドマドール