[13]施設に入るとき
今回は施設をテーマにしたい。社会福祉においては施設と言えばいろんな種類がある。一番多いのが老人福祉の特別養護老人ホーム、老人保健施設、そして有料老人ホーム、軽費老人ホームなどがある。障害者も身体障害者更生施設、身体障害者療護施設、知的障害者更生施設などがある。他にもいろいろあるが、このメールマガジン読者諸兄に縁があるのはこんなところだろう。
第3号、4号で「脱施設化が招いた悲劇」を覚えているだろうか?その時俺は第2号の「福祉が利用者を見捨てる時」でこんな主張をした。
―国や社会は今まで施設に収容することにより、弱者や障害者を保護してきた。しかし、財政の悪化により今は利用者を見捨てようとしている―
しかし、政府の方針とは裏腹に、施設は今でも入所を待つ人々で列をなしている。特に特養(特別養護老人ホーム)などは2,3年待ちはざらだ。老健(老人保健施設)や障害者施設、知的障害者施設も同様だ。政府がいくら在宅介護を訴えても最終的には施設に・・・となるのが現実なのだ。
はっきりここで言っておきたいが、施設に入りたいと希望して入居して来る人は殆どいない。入居(させられている?)している人々の9割がたは意に添わない入所だと考えてもいい。現に介護をしている職員たちも「自分が勤めている施設に入所したいと思う?」と聞かれると大抵「絶対ノーだ」と答えるものだ。
施設はさしずめ彼らにとって塀の無い刑務所なのだ(知的障害者施設などでは本当に塀がある施設も存在する・・・)。老人や障害者を入所させたがるのは本人ではなく家族であることが多い。
俺は「人権」だの「拘束禁止」などの奇麗事を施設内で聞くたびに違和感を禁じえない。そもそもここでの入所自体本人の意思に反した「人権侵害」なのにベッド柵を使用しただけで拘束と言うのはおかしいではないか?やっぱり福祉、どうやっても偽善的で業が深い。
こう聞くと「施設と言うのはかわいそうな入居者を無理やり収容しているひどいところだ」と考える人もいるだろう。その考え自体は誤りではないが、だからと言って施設の存在を悪と決め付けるのは早計だ。施設には本人よりもその家族の希望で入居することが多いが、それには理由がある。
入居させる理由にはいろいろある。
(1)介護ができない
一番まっとうで正当性があるのがこれだろう。在宅介護でヘルパーやデイサービスを利用していてもやはり家族の介護負担が重く、家族の体力や気力の限界を超えてしまうことが多い。中には介護者の方が体力的に耐えられず、過労で倒れてしまうケースもある。かつてアメリカのレーガン大統領は福祉予算を削減するときに「家族で助け合うべきだ」と家族愛を大儀にした。しかし、自身がアルツハイマーに告白したときはぬけぬけと「家族に迷惑をかけたくない」と言い出すのだ。
話を元に戻そう。介護者の中では当たり前だが、皮肉なことに寝たきりの老人よりも比較的要介護の軽い老人の方が入所が必要な事が多い。徘徊や暴力行為など認知症による問題行動は少なくとも歩けていたりするのでどうしても要介護度が低く評価され、十分な在宅介護を受けられない為だ。認知症になるとその現実を家族が受け入れられず、正しい対処方法も知らないため施設入所へ傾きやすい。
(2)人間関係の悪化
「えっ?そんなこと?」と思うこと無かれ。これは意外な事実だが入居のきっかけは家族と本人との人間関係の悪化が影響している事が多い。親を施設に入れる子供たちはモラルに問題があるなど言われ無き非難を受けることがあるが、止むを得ず親や家族を施設に預けていることが多いのだ。それは(1)で明らかにしたように、物理的に家族間での介護が難しいと言うのもある。しかし、施設入所に追いやられる人々は元々人間的に他人(勿論家族とも)上手くやれない人々が多い。
入所した後介護者として彼らに接していると「これじゃ、家族は看たくないだろな・・・」とうなずきたくなる人間性の持ち主は多い。ナースコールを濫用する、介護者に悪態をつく、理不尽な言いがかりや我侭を言う。プロと言っても、介護者も人間だから嫌な利用者、好きな利用者がある。
「利用者とはプライベートでは会いたくない」利用者がいないところでそう言う介護者もいる。この発言を聞くと不快に思う方も多いだろうが、プロフェッショナルを貫くからこそ自分の本音を出さずに不快な利用者でも適切に介護をしているのだ。
中には「障害や認知症が行動に影響しているのではないか?」という人々もいるだろう。確かに障害や認知症が本人の人間性を暴いて、負の側面を露にしている。しかし、本人の歪んだ性格や人間性は障害のせいばかりだとは一概に言えない。対照的に同じように障害があっても人間関係が上手く行っている利用者がいるではないか。障害の有無による差別を禁止すると言うのであれば障害を理由に悪態を正当化するべきではないと俺は考える。
当たり前だが職員からも嫌われている利用者はやはり家族とも上手く行っていないことが多い。面会に来るならまだマシで、中には施設に親や兄弟を預けて面会に来ない家族もいる。酷い場合は家族がありとあらゆる関係を持つことを拒否されている利用者もいる。障害者年金や老齢年金を着服するばかりでまったく関係者としての責任を果たさない無責任で酷い家族もいるが、利用者本人にも問題がある事が少なくない。
面会に来る家族と来ない家族。その差は利用者の健全だったときの行動が大きく影響している。ある男性の左片麻痺の身体障害者は脳梗塞を起こす前、家族の貯金200万円を黙って持ち逃げして愛人と駆け落ちした。その後本人は脳梗塞を起こし、身体障害者になった。障害者になった彼を愛人は見捨てた。愛人にも逃げられた彼は妻と息子たちに助けを求めるが当然家族が快く支援するわけが無い。家族は貯金200万を持ち逃げされた恨みを忘れてはいなかった。
「家族だから」助け合えと無責任に主張する人は多い。でも、「家族だから」こそ他人以上に憎しみが募るのだ。しかし、このケースとは裏腹に施設に入居していても家族がよく面会に訪れ、利用者を大事にしているケースもある。やはり、障害を負う前に本人が家族に何をしていたかは大変重要だ。
このメールマガジンを読んでいる読者も是非家族は大事にしよう。もし、自分が障害を負った時に家族に助けてほしければ、普段から家族や友人は大事にしておくことだ。
エル・ドマドール
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