[15]盗む介護人たち
前回のメルマガでただでさえ物議を醸しかねないテーマだったのに今回もより危険なテーマに挑むことにする。題して「盗む介護人たち」である。
ここ2,3年、介護ヘルパーが利用者からお金を着服し逮捕される事件が相次いでいる。大阪では4500万円盗んだヘルパーが逮捕された。岩手県花巻市ではなんと1億円騙し取ったとして元ヘルパーが懲役7年の実刑判決を受けている。
この花巻市の事件について読売新聞より引用したい
介護していた84歳の女性が認知症だったことにつけ込み、預金約1億円をだまし取ったなどとして、準詐欺と窃盗の罪に問われた岩手県花巻市矢沢、元ホームヘルパー小原さつ子被告(55)の判決が4日、盛岡地裁であった。杉山慎治裁判長は「信頼関係を逆手にとった犯行で、ヘルパー全体の信頼を傷つけた」として、懲役7年(求刑・懲役10年)を言い渡した。6月4日12時19分配信 読売新聞
こう言う事件を聞くとよく「お年寄りを騙すなんて」「介護に対する信用を無くす」などと非難の声があがる。だが、俺にとって見ればこんな事件など意外でもなんでもない。現にこのメルマガ執筆中にもコムスン元社員がサービス契約者の男性から強盗を働くと言った記事が飛び込んできた。第7号「福祉=ワーキングプア」で語ったように福祉関係者は貧乏人以外の何者でもない。対する老人たちはかなりの資産の持ち主が多い。
振り込め詐欺など老人を狙った詐欺事件などは多いがそのたびにこんな疑問は感じないだろうか?何千万などそんな盗まれるに値する大金をどうして持っているのか?老人が詐欺や窃盗に遭って、何千万も盗まれたと言う報道を聞くと、気の毒と言うよりもひねくれものの俺は「どうやったらそんな額の貯金ができるんだ?」と考えてしまう。20代や30代で貯金1000万以上持っている人は何人いるのだろうか?この国の富の配分に疑問を感じてしまうのは俺だけではないだろう。少子化が進むのは無理は無い。
もうお分かりだろうが、介護をしていると老人たちの多くはかなりの小金持ちであることが少なくない。介護者にとってみれば「自分たちは年収100万や200万で爪に火をともす生活をしている」のに介護される弱い立場の老人たちが「自分たちが納めた年金を元に何千万の預金を持っているのはやりきれない」という気分になりやすい。
もっとも「福祉をやる人は心優しい人々なのじゃないのか?!これじゃ信用できない」と言う声もある。福祉をやっているからと言って「心優しい」を押し付けるのは偏見以外の何物でもないが、こうした疑問にもお答えしよう。
福祉関係者の多くは「理想主義者」であることは否定できない。その理想主義が彼らのモラルを維持している現実がある。だが、理想主義とは裏返してみれば独善性と紙一重だ。そしてご存知のように福祉は理想主義とは程遠い偽善が渦巻く世界だ。福祉の現実を直視するたびに自分の理想が崩壊してしまう。すると理想主義の負の側面の独善性が強くなり、モラルの崩壊が止められなくなるのだ。金を盗んだヘルパーにしても、元々は理想に燃えた「心優しき」介護職だったのだ。だが、厳しい現実に失望し己を見失ってしまった。
福祉だけに限らないが、どこの世界にも光の輝きに比例してその闇も濃いところがある。利用者の物産を盗むなど「福祉」とは思えない劣悪な行為だが、現に犯罪に手を染めた福祉関係者は跡を絶たない。彼らを見て、自分たちに関係ないと思ってはいけない。理想に燃えていた彼らがなぜ犯罪を犯してしまったのか?同じ業界人としてとても残念に思うが、その傾向を分析したい。
一言で言えば、彼らは自分を見失ってしまった。それに尽きるだろう。
福祉関係者の多くが理想に燃えてこの業界に入ってくることはもう言及した。しかし、その理想は遅かれ早かれ悪夢の現実に吹き飛ばされてしまうのだ。
恐ろしいことに彼らを雇っているはずの法人や企業はコムスンのように内部告発されるような悪行や犯罪行為に手を染めている事が多い。しかも、その悪行の片棒を自分も担ぐようになってしまうのだ。その点は第8号「モラルよ、さらば」に掲載したので参考にしてほしい。
その現実に直面して、多くの介護職は苦悩を抱える。その苦悩に対して現実を拒否し、すでに壊れた理想に逃避してしまう人もいるのだ。理想主義の負の側面とは別の意見や観点を受け入れられない独善性である。自分の望む姿以外シャットアウトしてしまうのだ。しかし、その代償は高くつく。自分自身のモラルや初心を忘れてしまい、気がついたら自分が首まで悪徳に取り付かれてしまっているのだ。
俺はこの業界で長く、しかも正しくいたければ断固たる決意が必要だと信じている。英語で言えばデタミネーション(determination)というが、たとえ何があっても「これ以上は妥協できない」という一線が必要なのだ。彼らはそれが無いために、雇い主の悪行に手を貸し、悪魔に魂を売ってしまったのだ。
自分のやっていることが本来の理想よりも程遠く醜くても、勇気をもって現実を直視する事が必要なのだ。俺が初めて障害者療護施設に勤めた時、あまりの矛盾と偽善に悩んでいた。「自分がやっていることは犯罪行為の片棒を担いでいるだけじゃないのか?」「俺は利用者を搾取するために福祉の大学を卒業したわけじゃない!!」何度か真剣に辞職をしようと思った。しかし、ある日気がついた。
「自分は何時でも辞めることができるが、ここには嫌でも出て行けない人々がいるではないか。この人たちは俺がどんなに醜くても悪人でも俺を必要としている。この人たちに必要なのは正しき理想主義者ではなく、自分たちを助けてくれる人間なのだ。だから、頑張ってみよう。自分がどんなに醜悪でも彼らを助けることはできるのだから」
この気づきから10年以上が経つ。俺は厳しい現実と向き合う介護者に言いたい。あなた方は正しき神の使いではない。ただ単に無力な子羊に過ぎない。自分たちが介護している人々と同じ弱い人間なのだ。だが、彼らはそんなあなた方でも必要としている。そのことを是非忘れないで欲しい。
エル・ドマドール
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