[26]介護設備の災い

2018年8月25日

俺が社会福祉の世界に入る頃はまだそんなに社会全体のバリアフリー化は進んでいなかった。その頃はよく誰もがしたり顔でこのように言ったものだ。
「日本社会は障害者に冷たい」
「障害者が社会参加する環境が整っていない」
「自宅や施設に障害者を閉じ込めている」
などなど・・・・
だが最近は所謂ハートビル法(高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律)などの恩恵により、公共の建物ではスロープやエレベーター、障害者用トイレなどバリアフリー化が進み、「障害者を受け入れる設備体制が整っていない」と言われることは格段に減った。
実を言うと、社会のバリアフリー化が障害者の社会参加を促進しているかどうかはかなり疑問がある。ハード面をいくら充実させてもソフト面が無ければ社会参加には繋がらない事が多いからだ。しかし、今回その議論はまたの機会にしたい。
俺が今回議論したいのはバリアフリー化などがその意図に反して、利用者のADL(日常生活動作)や社会参加を損なっている現実の是非である。
「バリアフリーが利用者の能力を損なう?そんな馬鹿な!?」福祉関係者だけではなく、福祉の事を知らない人もあまりの突拍子の無い見解に疑問を感じるだろう。俺も長い間、バリアフリーは誰に対してもいいものだと思ってきた。現にユニバーサル・デザインという考え方が持ち込まれ、「障害者にも健常者にも誰にでも使いこなせる」事を理念にしている。だが、俺は10年以上のキャリアから必ずしもユニバーサル・デザインやバリアフリー化は幸福をもたらさないのではないか?と感じるようになった。
よく最近はバリアフリーになった住宅を建てる人が多い。今は必要が無いかもしれないが、老後の為に建築するパターンが多いと言う。手すり、スロープ、障害者用トイレ、リフト、エスカレーター、電磁調理器などが装備され、転倒の原因になる段差が排除されている立派で高額なものだ。しかし、俺はそんなバリアフリー住宅を「将来のため」と言って建てる姿を見るとこんな風に思ってしまう。
「やれやれ、10年後には寝たきりだろうな・・・」
「大枚叩いて、わざわざ要介護者になりたいのかね」
障害者や健常者にも優しいユニバーサル・デザインでどうして寝たきりになるのか?読者諸兄にはもう予想できる天邪鬼ぶりだろうが、これには根拠がある。その根拠を説明しよう。
近年、現代人の体力低下を指摘されることは一度や二度ではない。小学校では体力の低下が著しく、運動テストでも過去よりも成績が上回ることは無い。俺には想像もできないが、前転もできない小学生もいるとの事。つまり、今の健常者も昔と比べるとADL(日常生活動作)が低下しているといえる。もう理由は想像つくだろう。昔と比べて社会構造が変化し、現代人はテクノロジーの恩恵を享受している。エレベーターやエスカレーター、電車、車、バスなどは疲れないが運動する機会を日常生活から奪ってしまった。そうなると誰でも体力低下を起こす。テクノロジーは昔よりも良くなったが、現代人は虚弱になってしまった。今外に出て、歩かず5キロを走って来られる健常者はどのぐらいいるだろうか?
バリアフリー住宅も同じ事なのだ。障害者と健常者にも優しいユニバーサル・デザインはその優しさが人を堕落させる。段差が多く、使いづらい昔ながらの住宅設備はそれそのものが立派な生活リハビリの場になっていることが少なくない。一概には言えないし、ケースにもよるが要支援、あるいは軽い要介護度レベルだと少々面倒かもしれないが、あえて住宅改造をしない方が本人の為にはいいことも少なくない。どうしても建てるとと言うなら、バリアフリー化された住宅は自分が要支援・要介護者になってから建築しても十分間に合う。まだ要支援判定も出ないレベルでバリアフリー住宅を建てるのは愚の骨頂だ。
バリアフリー住宅を建てるときに見過ごしがちだが、認知症になるとかなり厄介なトラブルになりやすい。当然かもしれないが、まだ健常なときは将来自分が認知症がならないと勝手に自惚れているものだ。また詳しく説明する機会を設けるが、認知症の記憶障害は古い記憶はよく保持され、新しい記憶は喪失しやすい特徴がある。古い住宅を改造してバリアフリー住宅を建ててしまうと古い家の記憶しかないため、「ここは私の家じゃない」と錯覚を招くことがあるのだ。そうなると自分の家なのに「家に帰りたい」と言い出したり、他には徘徊や暴力、暴言など行動障害を起こしやすくなってしまうのだ。
介護が社会問題として認知されるようになって、よく住宅改造の事が話題に上がるようになった。建築会社などが「将来の老後のため」と言って熱心にバリアフリー化を勧めるようになったが、環境問題を利用して「環境に優しい商品」を売りつけようとする連中と変わらない。介護問題を自分のビジネスに利用しているだけだ。彼らにとったらバリアフリー住宅を建ててしまえば、利用者が認知症になろうがADL低下しようが知ったことじゃない。自分たちが建てた家が逆に利用者の機能低下を招いているとは思っていないのだ。だからこそ、自分の身は自分で守るしかない。安易に建築業者や社会福祉関係者の口車に乗るのは危険すぎる。
エル・ドマドール