[39]認知症シリーズ(4)精神後退

2018年8月25日

認知症シリーズも4回目を迎えた。今回は「精神後退」をテーマにしたいと思う。
「精神後退」という言葉はおそらく初めて聴く人がほとんどだろう。「精神後退」とは俺が作った造語だが、「精神後退」とはなんであろうか?前回の知的能力の低下はその名の通り、知的な判断力や知識の低下だった。今回の「精神後退」とは「知的能力の低下」とは少し違う。それは所謂「我慢強さ」や「根気」など精神面でのタフさが認知症になると後退してしまうことを意味する。認知症が器質的疾患により、脳の機能を低下させてしまうことは以前説明した。その脳の機能の中にはメンタル面でのタフさも含まれているのだ。認知症になるとメンタルの耐性が明らかに低下する。
どこの国にでも老人にはそれなりの敬意を払う文化的背景があるものだが、とりわけこの国はその傾向が強い。「敬老の日」というものがあるくらいだ。高齢者というだけで敬意を払うように教育される。また老人にはいいイメージがある。老人世代は戦争の苦しみを知っているために艱難辛苦を耐え忍ぶ耐性があると思っている人は多い。「齢は成熟性を与える」とも言われている。だが実際はこんなものは偏見もいいところだ。
具体的な事例を挙げよう。
特別養護老人ホームに入所している大石千鶴子は今年で90歳になる。軽い認知症があるが、コミュニケーション能力は健在だ。戦争時代は食べるものがなく、本当に苦労した。戦後もどうなるかわからない混乱を生き抜いてきた。その時代に比べればホームの生活など餓死する危険もない安全なものだった。しかし、それでも千鶴子には我慢できないことがあった。昔と違い90歳の千鶴子は待たされるのが大きらいだった。ある日ティッシュペーパーがなくなっていることに気づいた千鶴子はナースコールを押した。
「どうされましたか?」
「ちょっと、ちょっと、ティッシュを取って欲しいんだけど」
「わかりました。もう少ししたら伺います」
最初は千鶴子は大人しく待った。しかし、5分も経たない内にまたコールをする。
「どうされましたか?」
「ティッシュとって欲しいってさっき言ったじゃない。まだ来ないの?」
「ちょっと待ってください。今他にもすることがあるんです。もう少し待っていただけませんか?」
応対した職員に言わせればティッシュの箱を取るのは他の利用者のトイレ誘導や水分補給に比べれると優先順位の低いものだった。しかし、千鶴子にとってはティッシュの箱をすぐに出すことは何よりも大事だった。
「何言ってるのよ!私はずっとティッシュを取って欲しいって言ってるの!」
あまりにも横暴な言い方に職員も対応が粗雑になり始める。
「神田さんにトイレに行きたいと言われてるんですよ!ティッシュは後回しにできます。他の利用者さんもここで生活していることくらいわからないの!?自分のことばかり言うんじゃなくてもっと他の人の為に譲りましょうよ」
千鶴子にとって他の利用者の利害は考慮になかった。
「そんなの知ったことじゃない!あんたの要領が悪いだけじゃない!とにかく早く来て!!」
その後も千鶴子のコールは鳴り続けた。。。。
一概には言えないが、老人というだけでキレにくい、分別があると考えるのは誤りだ。最近は教育現場に理不尽な要求をするバカ親達をモンスターペアレントと呼ぶのを止めるべきだという主張があるが、モンスターなのは何も親だけじゃない。とっくの昔から介護施設にはとても成熟性や寛容性とは程遠いモンスターの巣窟だ。
待つことが大好きな人はいないだろう。一般社会では20年前にはありえなかった携帯電話やパソコン、デジタルカメラなど便利なテクノロジーが台頭して生活が便利になったはずなのに現代人のストレスは減ってはいない。効率性やスピードを重視した結果、「待たされる事」に対する耐性が著しく低下しているといえるのだ。
個人個人の人間性や性格の部分も大きいので一概に言えないが、明らかに認知症になると待たされたり、不本意なことを我慢する耐性が著しく低下する。介護施設ではどうしても「待つ」ことが必要な事は現場で働いている人はよく知っているはずだ。別に利用者も仕事をしているわけではないから、排尿などの生理現象でもない限り5分や10分ほど待てないわけではないだろう。しかし、介護施設では待てない人々が多い。
どうして待てないのか?それは「待つ」というのは非常にメンタル的な強靭さが求められる行為だからだ。「待つ」ストレスはかなり厳しいものがある。それは健常者でも同じだろう。よくJRの事故などで運行停止になると駅員を怒鳴り散らす人々を見かける。冷静に考えればそんなことをしても運行がすぐ再開されるわけではないし、下手すれば警察沙汰になりかねない。何のメリットもない。
現代は何でも「効率化・高速化」が当たり前になっているため予期しないトラブルには感情が抑えられないのだ。ましてや精神後退が進んでいる認知症老人の場合、もっと耐えられない。認知症高齢者の場合、その外見とは裏腹にその言動が子供っぽいと感じたことはないだろうか?これは別に中傷でも偏見でもない。認知症になると大なり小なり自我のコントロール能力が低下し、精神後退を起こすことが少なくない。2,3歳のメンタリティしかない老人もいるのだ。
*総括
認知症になると大なり小なり精神後退を起こす。待たされることに耐えられなかったり、思い通りにならないと職員に暴行や侮辱を働く事も少なくない。この場合の対策としてはできるだけ利用者にストレスや我慢を強いない配慮が必要だろう。だが、現実の介護施設ではマンパワーの無さ、環境面での問題で余裕が無い。そんなことができるなら苦労しない・・・・というのが現場にいる人の共通点だろう。しかし、自分たちが接する利用者が精神後退を起こしていて忍耐力が低く、待てないのが当然なんだと認識するだけでも介護者のストレスは違うだろう。
事例で挙げた大石千鶴子のナースコールにしても職員が「議論」してしまっているが、認知症高齢者に議論は不毛だ。事細かに説明しても理解しないどころか、要求を無下にされたとさらにストレスを増やすだけだ。「もう少しでお伺いします」としか返答しなくてもいいくらいだ。
以下に対策を要点にしておく。
・できるだけ待たせない、ストレスを与えない。
・議論は避ける
・説明はシンプルに
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