[89]もしあなたが認知症になるなら

2018年8月25日

よく老人福祉をやっているとこんな意見を聞くことがある。
「もうボケてああなるなら、いっそそうなる前にポックリ死にたい」
「認知症になるかならんかって事前にわからないのかな?」
「ボケて何にも判らんようになるのは本当に恐ろしい」
差別意識丸出しの発言もあるが、これは普通の一般の人だけの発言ではない。同業者からもこんな発言が飛び出ることがある。いずれにしても認知症になった後、自分が正気を失い人間らしさの失った振る舞いをしてしまう未来を恐れているのだ。将来、自分が自分自身でなくなる恐怖心は確かに恐ろしいものがある。そこで今回はまた認知症について語ろう。
認知症になる人とならない人との差はどこにあるのか?
よく本などで「手先を器用に使っていると、脳が刺激されてボケにくい」「怒りっぽいと認知症になりやすい」など言われていることがある。しかし、こんな助言は気にしないほうがいい。ふざけたでたらめもいいところだ。現段階では認知症の原因についてはよく判っていないのが現実だ。アルコール中毒や脳血管障害など個人の食生活が反映される病気を通じて、認知症になることはある。しかし、個人の若いころの生活習慣や食生活、性格などと認知症の間に明確な因果関係は未だに発見されていない。
かつて書いたように認知症とは一言で言えば「気質的疾患による脳機能の低下」だ。一番多いのはアルツハイマー病だが、その原因もよくわかっていない。他にも認知症の原因となる疾患でレビー小体型、ピック病も原因が不明だ。高齢化社会の現実に直面するようになったのがここ20年ほどだが、まだまだ認知症についてはわかっていない部分が多すぎるのだ。だからこそ人々の恐怖心を煽りやすいのかもしれない。
認知症になる確率はどのぐらいなのかご存知だろうか?
65歳以上の高齢者の場合、3パーセントから8パーセントぐらい。調査によってばらつきが多く信用に欠けるが、それでも案外低いなという印象を受けるのではないだろうか?年間の有病率は65歳以上で1~2パーセントでしかない。しかし、80~84歳では8パーセントと数字が急に上がる。「ボケたらどうしよう?」と恐怖におののく中高年は多いが、案外数字で見ると低く感じるのではないだろうか。認知症になるかならないかは誰にもわからない。しかし、一つだけ確かなのは認知症になるぐらいの長寿が今の日本社会では当然とみなされていることだ。
人間社会かつては平均寿命が50歳ぐらいの時代もあった。今でも発展途上国にはそういう地域もあるのが現実だ。中にはテロや戦争でいつ死亡するのか判らないところもある。人類の歴史はそもそも血塗られた戦争の記録と言ってもいい。認知症になれるくらい安全に長く生きられるのは戦争や食料不足もない人類が長く求めてきた理想でもある。その恵まれた現状を嘆いて「ボケるぐらいならポックリ死にたい」「障害を持って生きるのは辛い」など言うのは、ある意味自分がどれだけ恵まれているのか判っていない傲慢不遜さの表れだ。
そういう人間に中東などの爆破テロで死ぬほうがいいのかと聞くとそれも嫌だと言うだろう。人間は強欲だ。日本のように餓死や戦争などと程遠くても生きがいだの悔いのない人生などと言い出すのだからどうしようもない。100パーセント満足できる理想的環境などこれまでもないし、これからもありえない。結局は人生の捉え方は自分次第なのだ。自分が不幸だと思うならそうなるし、恵まれていると思うなら幸せになれる。人生は見方によって映り方が違うのだ。
認知症になると人格的にどういう変化がでるのだろうか?軽い認知症状が出ているときは従来の人間性や性格が反映されることが多い。しかし、脳卒中などは感情の抑制が効かない症状があり、怒りや衝動性が強くなり不安定になることも少なくない。認知症もかなり進行すると人格が荒廃してしまうことがある。結局どうなるのかは予想がつかないのが正直なところだろう。しかし、認知症になっても変わらないものがある。それは健全なときに築いた人と人との絆だ。家族関係が良好な利用者はやはり健全な時に家族や友人を大事にしていることが多い。何度も言うがヒューマンスキルは偉大なのだ。
エル・ドマドール
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