[98]会議(3)

今回は残りのダメ会議の条件(6)~(10)に移りたい
(1)月に累計2時間以上会議をしている。
(2)決められた時間に終わらない。
(3)休みの職員も招集するなど、できるだけ最大限参加者を募りたがる
(4)多数決を取るとどれか一つの案に偏ることが多い。
(5)1週間に1回、1ヶ月に1回など必ず定期的に行われる
(6)メインの会議が始まる前にメイン会議で何を話し合うかなど司会や上司たちの間で打ち合わせが行われている
(7)やたら念入りの会議レジュメを作る
(8)会議後の議事録を平然と修正する
(9)会議後、一部の人間たちで話し合いをしている
(10)会議の時にやたら熱心になる職員が多い
偶然だが月刊プレジデントでも会議について特集していた。そこでは「議論の9割は無駄」と結論付けている。一般企業でもダメ会議に悩まされているのは同じのようだ。ただ管理職の多くが会議の目的を聞かれて「同じ目的の共有」と応えているのには笑ってしまった。前にも言っているが会議でしかできることができなければ会議の意味はない。同じ目的の共有などいくらでも他で代用が効く。
(6)メインの会議が始まる前にメイン会議で何を話し合うかなど司会や上司たちの間で打ち合わせが行われている
会議のために会議をするなど全くナンセンスだ。会議の意味を履き違えているとしか言いようがないが、なぜこんな時間の無駄の見本のようなことをするのか?会議では何が起こるか判らない。議論が白熱して(リーダーたちの意図と違う)思わぬ結論が出るかもしれないし、予定通りに進まないかもしれない。それを防ぐために本会議の前に事前に話し合いをすると反論があった。なるほど本番前のリハーサルのようなものなのかもしれない。しかし、会議はセレモニーじゃない。リハーサルなど無用だ。第一、リハーサルをしても(2)の時間オーバーは減らないし、無駄会議がなくなるわけじゃない。結局リーダーたちの決断力がないからこんなリハーサルをする羽目になるのだ。会議を葬式や結婚式のようなセレモニーと履き違えている上司は実に多い。滞りなくスマートな議事進行を望むばかり本来の目的を忘れてしまっているのだ。
(7)やたら念入りの会議レジュメを作る
先ほどの会議のための会議の産物がこれだ。会議はセレモニーではない。無事に滞りなく進めるのが目的ではないのと同様、華美な「パンフレット」を作るのが目的ではない。中にはパワーポイントなどで豪華な会議レジュメを作る人もいるが、会議レジュメなどワープロで箇条書きにする程度で十分だ。組織の中にはこういう華美なレジュメを作ったり、会議中の発言内容や態度に評価を与えるところもある。馬鹿馬鹿しい。業務内容とは関係がない会議のことで人事評価をするなど言語道断だ。もっとも会議をすること自体が立派な業務と考える愚かな人間が管理職になる組織ならその程度のレベルだろう。だがそのような腐敗した組織に優秀な人材が我慢するわけがない。
(8)会議後の議事録を平然と修正する
(9)会議後、一部の人間たちで話し合いをしている
かつて小泉内閣の規制改革会議に人材派遣会社「ザ・アール」を経営する奥谷禮子という女性がいた。彼女は自分を批判した民主党議員の発言を委員会議事録から削除するように求めて痛烈な非難を浴びたことがある。よく考えれば分かるように国会議員の発言を消すなど民主主義への挑戦と言われても仕方がない非常識極まりない暴挙だ。だが、企業や施設でもそのような愚行はたまに見られる。会議で決めたことを後で上司の一存で変更するのは会議など意味はないと言っているのと同じだ。国の公的な会議と民間の会議は全く質が違うものだという反論はあるだろう。しかし、国だろうが民間だろうが議事録を後で修正するなど参加者を裏切る卑劣な行為だ。また会議後に一部の人間だけで話し合いをすることもよく見られるが、それも同じだ。どちらも時間の無駄だし、参加者を裏切る行為だ。このことを分かっていないリーダーや上司は案外多い。会議中は上司は独裁者であるぐらいで構わない。だが、上司と言えども何でもやりたい放題好き勝手にしていいわけじゃない。独裁者であっても自分で決めたルールさえも守らない変節漢であってはいけないのだ。会議で決めたことを後で翻すのは部下からの信頼や尊敬を無くす愚行に他ならない。
(10)会議の時にやたら熱心になる職員が多い
馬鹿な会議をしている責任は主に上司やリーダーたちにあるのだが、部下たちにも問題はある。会議になると本業そっちのけで熱心に関わる職員は実に多い。上司に直訴して政策を訴える「ロビー活動」を行う職員もいれば、会議で声高に発言して自分の仕事振りをアピールする「広告代理店」までいる。いずれにしても真面目に仕事をする人間にとってはこんな会議は精神衛生上極めて苦痛だろう。「チームワーク」「利用者さんのために」「いい介護がしたい」など美辞麗句を言っても実際は自分の広告宣伝に一生懸命な偽善者はどこにでもいる。会議で熱心な人間にはなぜか実際の仕事ぶりはいまいちな人が多い。だが、会議での言動が人事評価の対象になるなら彼らの会議での積極性にもそれなりの理由が見出せる。結局リーダーたちの会議に対する考えがそのような職員を生み出していると言えるのだ。
エル・ドマドール
【関連記事】
[97]会議(2)