[107]利用者への搾取(下)

今回は前回の金沢有紀の物語の続きだ。話を始める前に言っておきたいことがある。よく施設で働く人々の中には「利用者のために~したい」と言う人がいる。俺はこの台詞が虫唾が走るくらい嫌いで偽善そのものだと思っている。でも、建前や自己アピールのためにこの台詞が出るならそれはそれで構わない。本心では利用者など心底嫌っていて、入院しても見舞いすら行かない人でもそういう台詞を吐ける人はいくらでもいる。しかし、問題は本心からそう思う人の場合だ。本当に利用者のために尽くしたいなどと本心から考えているなら止めた方がいい。
なぜか?それをこれから説明しよう。
金沢有紀が強欲な姪と対峙した1週間後、有紀は上司に呼び出された。何かと思って上司を訪ねると、有紀を相手に苦情報告が上がっているとのことだった。あのシズコの姪が有紀に厳しく非難された事を根に持って、上司にクレームをつけたのだった。有紀は思わぬ展開に驚いたが、自分の言い分を上司に伝えた。
「確かに怒鳴ったのは行きすぎだったと思います。しかし、あの姪はシズコさんにあんな中学校の体操服みたいな服を着させても構わないと言うのです。それはあまりにもシズコさんが可哀そうではないですか?そう思うと我慢が出来なかったのです」
有紀の行動はシズコを大事に思うばかりの行動だった。行き過ぎだったが、有紀が怒鳴らなければシズコは体操服姿で外出イベントに参加していただろう。しかし、上司はそんな事を酌量するつもりは一切なかった。事なかれ主義で保身に長けた上司は施設長への体面を取り繕うばかりで、クレーム処理を穏便にすることしか頭になかった。上司は有紀に直接謝罪するように求めた。
「嫌です!!シズコさんに対して認知症でわからないからって体操服でも平気だって言うのは到底許せるものじゃありません。私は間違ったことをしていません。絶対謝りません!!」
有紀は若さと正義感ゆえに自分に嘘をつくことができなかった。しかし、施設長にまで謝罪するように求められた有紀は自分の将来の事も頭によぎったのだろう、結局姪に謝罪することになった。
以上で金沢有紀の物語は終わるが、どうして俺が「利用者のために尽くす」という考えを止めた方がいいのかわかるだろうか?単純な答えだ。利用者より身元引受人つまり家族の方が発言権が強いからだ。利用者のために仕事をしたくても、それができない環境にあるのだ。とりわけ介護現場では誰もが正しいと思う基本的人権などの正義やモラルが歪められやすい。この例の強欲な姪はかなりひどい家族だが、こんな家族はいくらでもいる。そして困ったことに「お客様第一主義(利用者のことではない)」がこの業界でも慣例になった現在、このような醜いエゴや不正義と戦う気骨のある施設は姿を消してしまったのだ。
介護保険が導入され介護が社会化されてもう10年近くが経つが、現在も利用者は搾取されやすい状況下におかれている。利用者の搾取と言うと生活保護受給者を囲い込み生活保護費を搾取する貧困ビジネス、劣悪な環境の中で障害者を無給で働かせるなどがたまに新聞を賑わせている。介護施設も利用者を巧みに騙して搾取しているように思われていることが少なくない。確かに俺の経験でもそういう所は存在した。(第8回「モラルよ、さらば」を参照)
しかし、一番ひどい搾取者は身近にいるものだ。これはマスコミも報道していないが、利用者を一番搾取する可能性があるのは実を言うと家族だったりする。このシズコのケースのように利用者の年金を握っておきながら利用者の必要な生活費をなかなか払わない家族が多い。下手すると利用者の年金を自分たちの借金返済や生活費に使い込むことすら有り得る。このため利用者の介護利用料が払われないケースもある。その場合、施設側は不足した利用料が入ってこないため赤字分を負担することになってしまう。
利用料を払わない利用者は退所させればいいのかもしれないが、この場合利用者も被害者なのだ。相談員をしている人ならよくわかるだろうが、一度入所した利用者を退所させることは容易ではない。退所した後の行き先も家族も引き受けを拒否するのは目に見えている。社会的入院を減らしたい病院も難しいし、3年待ちが当たり前の特養も難しい。そもそもこんな問題家族のいる利用者を受け入れる施設、病院などどこにもない。こんな事態を防ぐために施設によっては入所する時に年金の管理を施設に委託するように求めるところもあるが強要はできない。しかもどんなに本人と関わりを拒否する家族も年金は手放したがらない。しかも高齢者の場合は死亡すればそのまま遺産になるため、家族が生活費を本人の財産にも関わらず拠出したがらない傾向が強くなる。
普通の会社や社会では他人の金を搾取した場合は横領罪や窃盗で告発されるだろう。しかし、家族が相手で福祉現場の場合はそれすらままならない。せいぜい社会保険庁に連絡して年金の振込先を本人名義で新たに作った口座に変更させるぐらいだろう。しかし、家族と揉めることが必至なこの策を実行する勇気は社会保険庁や施設にはないだろう。後見人をつけて年金管理をさせると言っても家族を無視してすることは現実的には困難だ。警察といい役人たちも福祉と名がつくと介入を嫌がる。マスコミもそう。障害者や認知症を抱える家族と言うとそれだけでアンタッチャブルになるのだ。
最後に言っておくがたいていの利用者家族はこんなひどい人たちではない。中には逆に年金が少ない利用者のために自分の財産を削ってまで必要物品を購入する素晴らしい家族もいる。しかし、利用者の年金や財産を搾取する家族は確実に存在する。そしてこんな偽善的な家族に対して法的規制も何もない。利用者を一番搾取する可能性があるのは施設でもなく、貧困ビジネスでもない。それは家族なのだ。家族の搾取から利用者を守る方法は今のところ全くない。
エル・ドマドール
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