[30]アイドル(偶像)障害者

最近、俺はあるドラマをテレビで偶然視聴した。そのドラマは自閉症の少女を主人公が活躍する筋書きだった。読者諸兄も見たことがある人は多いだろう。日本のテレビでも障害者が出てくるものが珍しくないが、本当にリアルに「障害者」を描いたものは珍しい・・・というか殆どない。俺も例の自閉症の少女が出てくるドラマを見たが、あまりにも現実の障害者との違いが多すぎて感情移入できなかった。アイドルのような綺麗な顔をした女優が演じていたが、はっきり言って俺が知っている現実の自閉症児とあまりにも差がありすぎる。
しばらく我慢してみていたが、やはり俺にはその虚構に耐えられない。やがて「こんな自閉症児がどこにいるんだよ!」と憤然としながらチャンネルを変えてしまった。
日本でよくドラマに出てくる障害者にはこんなタイプが多い。「障害はあるけど純粋無垢」「心優しく、傷つきやすい」などなど。だが、こんな障害者像ははっきり言ってアイドル(偶像)に他ならない。日本語でアイドルというと若者が憧れ、好かれる人気タレントという意味だが本来はありもしない「偶像」と言う意味だ。この自閉症児も同じだ。ありもしない障害者の「偶像」を平気で描いて、「障害者とはこういうものだ」と誤った固定観念を植え付けようとしている。
こういうアイドル(偶像)障害者はどこがありえないのだろうか?おそらく障害者施設などに勤める読者の多くはこのようなドラマのアイドル障害者に違和感を感じている人が多いはずだ。具体的にどこがリアルな障害者と違うのか?
*整容ができる自閉症児??
一番大きな違和感は整容動作だろう。よくドラマでは見栄えのいい俳優、女優が自閉症児を演じるが、ここからありえない。お洒落な服を着て、綺麗にセットされた髪型には軽く茶髪に染めている。女性ならうっすらと化粧をしていることもある。俺はこの世界長い間いるが、あんなお洒落で小奇麗な自閉症児は見たことが無い。
誤解ないように言っておくが、俺は別に「障害者にお洒落など不要」と言っているわけじゃない。それどころか文化性を持つのは障害者に限らず大事なことだ。だが、現実ではドラマのようにあんな洗練された知的障害者などありえない。本当に知的障害者とりわけ自閉症がどんなものか本質的に理解していたら、あんな演出は言語道断もいいところだ。自閉症児の特徴的な口癖やしぐさなど表面的なところは真似るが肝心なところは自閉症離れしている。悪く言えば知的障害者への侮辱と取られても仕方ない。
前から言っているが、このメールマガジンは敢えて真実を語ることを趣旨としている。その覚悟の上であえて言う。差別主義者と非難されることを覚悟で言うなら知的障害者の多くは美しさや華麗さとはほど遠い人が多い。整容動作など自分の外見が他人にどう写るかを気にするのは実を言うとかなり高度な文化的活動なのだ。
例えばあの有名な五体不満足のスポーツライターは重度な身体障害を抱えるが、彼の場合は知的能力は健常者と変わらない。だからこそお洒落なスーツを着こなしてファッションに拘りをもっている。
自閉症とは呼んで字のごとく、「自分の中に閉じこもる障害」だ。簡単に言えば脳に先天的の異常があり、他人と上手くコミュニケーションが取れないところがある。他人からどう見られているか気にしない彼らがどうして自分の外見を気にするのだろうか?自閉症に限らず、知的障害者の抱える問題の本質は文化性の欠如にあるのだ。
そして施設関係者や家族も彼らにお洒落をさせようとはしない。寝癖を直すのが関の山だろう。酷いと本人が希望を言えないことをいいことに介護が楽な短髪にカットさせてしまう。知的障害者の人権や支援費の増額を声高に主張するなど知的障害者のガーディアン(守護者)を自認する彼らは積極的にお洒落させようとしない。なぜか?それは彼らも無意識的に知的障害者に社会的評価は無用と信じているからだ。まあ敢えて良く言えば忙しくてそこまで考える余裕がないからとも言えるが。
エル・ドマドール