[29]ベッド柵の功罪

先日広島市の病院で痛ましい事故があった。ベッド柵の間に首を挟み、そのまま窒息したとの事だ。詳しくは時事通信社より引用しよう。

「広島赤十字・原爆病院(広島市中区)は10日、入院患者が2月、ベッド側面に転落防止のため取り付けられた手すりのすき間に首を挟み、死亡したと発表した。すき間は幅6センチ。ベッド上で倒れ、誤ってはまったとみられ、病院は警察などに届け出た。 同病院によると、死亡したのはパーキンソン病で入院していた広島県内の60代男性。 2月17日午後10時40分ごろ、すき間に首を挟んだ心肺停止の状態で見つかり、同月28日、低酸素脳症による呼吸不全で死亡した。男性は寝たきりの状態から、自力で起き上がれるまで回復していたという。 病院側は「6センチに首が入るとは想定しなかった」と説明。事故防止のためすき間をふさぐ「スペーサー」という器具は使用していなかった。

ベッド柵に首が挟まるような事故はこのケースだけではない。先日も島根県出雲市の病院でも同じくベッドに首が挟まり、窒息死する事件があったばかりだった。ここ最近、ベッドで死亡事件が相次いでいる。以前からベッド柵に手を挟んでいたのに気づかないままギャッジを上げて、骨折や剥離を招く事故は何度か耳にしていた。しかし、今回のように死亡にまで至るのはベッド柵がもはや利用者の安全を保障するものではないと言えるだろう。いつかは拘束についても議論が必要だろうとは思っていたが、今回このような事故があったので少しベッド柵について議論をしてみよう。
ベッド製造会社は「スペーサー」という隙間を埋める器具を提供していると弁解し、責任逃れに懸命だ。確かにその器具を使えば窒息事故は防げただろうし、その意味では現場でベッドを使う側にかなりの責任があるだろう。
しかし、実を言うとベッド柵の扱いは利用者によっては向き不向きがある。一概にベッド柵をセットすれば転倒を防げると言うわけではない。ALD(日常生活動作能力)が高い利用者だと、ベッド柵を乗り越えることもある。一般的な介護ベッドではベッド柵は30センチそこそこしかないが、昔ながらの介護をするところでは「サークルベッド」というものまである。これは柵の高いベビーベッドを巨大化したものだと思えばいい。ヴィジュアルで見たければ、検索してもらえば簡単に見つけられるだろう。
ご覧のように柵の高さが1メートル以上はあるのでとても乗り越えられる代物ではない。このサークルベッドを使っていたら、このような窒息事故は起こらなかった。しかし、幼児には抵抗無く使えても、なぜか老人に使うのはよくないという福祉界のダブルスタンダードのため、このベッドは最近見られなくなっている。
しかも今の福祉業界のトレンドはベッド柵=拘束である。今回のような事故があるとますますこれからベッド柵を外そうとする方向にトレンドが傾くのは必至だろう。しかし、皮肉なことに現場はこれからもベッド柵を外す事はほぼ不可能だ。
ベッド柵=拘束という単純すぎるイデオロギーにはまり、馬鹿正直にベッド柵を安易に外した施設を俺はいくつか知っている。なかなか高邁な理想だが、現実はどうだったか?ベッド柵に代わる安全策を用意できないその施設では利用者の転倒を増やしただけだった。中には歩けるADL(日常生活動作能力)が無いのにベッドから歩こうとして骨折し、寝たきり状態になってしまった例がある。
ベッド柵に代わる転倒防止策も今のところあるにはあるが決定打と言えるものではない。ベッドの側にクッションやマットレスを置く手もあるが、マットレスに着地した後歩くときにバランスを崩しやすい。ベッドを最も低い位置にして、転倒の衝撃を和らげる手もある。しかし、根本的な解決にならないし、オムツ交換の際に介護職が低い姿勢を強要されるために腰を痛めやすくなる。腰痛持ちの介護職はそれを嫌がり、ベッドの高さをオムツ交換の度に上げるが中にはベッドの高さを上げたまま元に戻すのを忘れる事も少なくない。介護の現場は時間に追われるため、安全性が疎かになりやすいのだ。
「転倒が怖いなら畳の生活にすればいいじゃないか?」という声もあるだろう。入所施設や家庭なら試す価値はある。しかし、いつ退院になるかわからない病院の場合、そんな面倒で時間や費用もかかるアイデアを試す余裕はまずない。
利用者の不穏や興奮を起こすような副作用のある内服薬を中止するという考えもある。なかなかいい考えだが、病院などに入院している場合だと医療従事者にそんなオプションはまず無い。誤謬性など認めない医療現場ではそんな考えは国家反逆罪ものだ。
結局利用者の安全と人権を両立させるなら、介護や看護に携わる人数の増強は避けられない。そうなれば、ただでさえ高額な介護費、医療費はもっと高騰するだろう。そんな負担は政府も事業者も国民さえも背負う気は無いのが現実だ。
人手不足の現状を無視して人権を守ろうとすれば、利用者の安全を犠牲にするしかないだろう。単純なことだが、そんなこともわからない人が一般社会だけではなく、福祉業界にも多すぎるのだ。そのくせ、「拘束は犯罪に近い」などと言い出す。言っておくが、介護業界は好んで利用者を縛り付けているわけじゃない。そうしないと安全を守れないから拘束をしなければならないだけだ。中途半端な拘束解除は利用者を不幸にするだけだ。
施設に勤めている介護職、もしくは施設に利用者がいる人ならご存知だろうが、もし施設内で転倒などで骨折して入院した場合、病院内で本人の世話をするのは施設側ではない。大抵利用者の家族が病院に通いつめて本人の世話をしなければならない。頼みもしないのにベッド柵を外して大怪我をさせる施設側の対応について、家族がどう思うかはもう言うまでもないだろう。施設側の愚策で入院させられて治療費も払わない、入院中の介護は押し付けるでは家族はたまったものではない。
現に利用者を骨折させて家族からクレームがつくことはよくあるが、自分の家族が拘束されていても殆どクレームがつくことは無い。腕を縛るなどよほど外見が悪いものだとたまにクレームがつくことがあるが、その場合も拘束の必要性を説明すれば家族は引き下がらざるを得ない。理想主義者には耳が痛いだろうが、家族だって病院で介護はしたくないのだ。骨折して入院されるくらいなら肉親を縛ることを選ぶ。それが現実だ。
エル・ドマドール