第44回 婆ちゃん

2018年8月31日

こんにちわ、永礼盟です。ご購読ありがとうございます。

先日、婆ちゃんが亡くなりました。88歳でした。最後に婆ちゃんにあったのは、94年のお正月のことなので、ちょうど10年会っていないことになります。

この10年間、自分には色々な事が起こり、怒濤のごとく過ぎていきました。その間、婆ちゃんは「盟はいったい何処で何をしているんだ?元気にしているのか?」とずっと気にかけてくれていたようです。

明け方、一本の電話がなり、婆ちゃんが亡くなったと言う内容を聞きました。

死についてあまり驚きがなかったのは、今の職業が関係しているのかもしれません。人が死ぬという事は、当たり前の事だから。でも唐突にやってくるそれには、やはりドキッとさせられます。

すぐに田舎に帰ると、懐かしい親戚の姿がありました。従兄弟や、親戚の仕切り屋おっちゃんの姿も健在です。つい昨日まで、幼稚園児や、小学生だと思っていた従兄弟たちが、今は赤ちゃんを抱っこし、奥さんと一緒に家庭の匂いをさせているではありませんか。いつの間にか、おじさんになっているのです。甥っ子や姪っ子を見たとき、痛烈に時代の移り変わりを感じました。

婆ちゃんは天国に旅立ったけど、新しい命はちゃんと誕生しているのです。中島みゆきの『時代』が、心に染みるのを感じます。

お通夜の光景は、今までに何度も目にしていますが、その中に自分が慣れ親しんだ婆ちゃんの仏様があるのだと思うと、どうしても不思議な気持ちにさせられるのです。自分の親族が亡くなり、お通夜に来て頂いている。いつもと逆の立場に戸惑いながら、自分の居場所と、人の距離を測りました。

その夜、お線香を絶えず灯しておくという事で、徹夜の作業が続きました。それぞれの10年を語り、夜は暮れようとしていましたが、私が介護職に就いた事を親族がよく思っていなかった事には驚かされました。

以前の仕事は華やかで、高額の報酬もあり、人から見れば確かに素敵に見えたのかもしれない。でも自分は、何をやっても保身的で駄目な人間だった。それを、介護と言う世界に飛び込む事で、そこから逃れられるような感覚を持っていたのだった。自分には、介護の世界って、凄い聖域と感じていたから。でも、親族の考えはもっと現実的でドライな物だったのです。

「それしか仕事がないのよ。」痛い言葉でした。働く先が無いから、介護なんてやっていると言う見方です。ホームで働き出した何年間が、自分にとって生涯一番頑張った時代なのです。ホームでも、身内の集まりの場でも、自分の本心やポリシーは心の奥に隠し、その言葉を受容しました。

ホームで働く自分にとって、驚いた事がある。爺ちゃんと婆ちゃんの状態だ。婆ちゃんは88歳で命を全うしたが、爺ちゃんは90歳を過ぎてもまだまだ元気でいる。婆ちゃんもきっと、大変な状態だったんだろうなと、勝手に思っていたのだが、在宅で普通に生活していたのだそうだ。

亡くなる数週間前に、病院に入院したけど、それまでずっと在宅ケアだったようだ。そんな言い方さえ滑稽で、本当に普通の生活状態だったと聞いて、自分の中に過信がある事に気がついた。すべての高齢者が色々な病状に悩まされると言う過信である。

今、我がホームに居られる入居者の殆どが80歳代である。比較的、介護度や病状が重たい方が入居されている。その中にいる事で、全ての高齢者がそいうい状態になると、勝手に思い込んでいたのだった。

爺ちゃんを見て、その過信を嬉しく思える反面、世の中には60代、70代で、その病状に苦しんでいる人がいる事が不公平に思えてならなかった。90を過ぎた爺ちゃんが、車椅子から立ち上がり、「今日はありがとうございやした。」とビール片手に席を回る姿を見て、自分の在り方が、少しだけ理解できた気がする。もう少し、この仕事を頑張って続けてみたくなった。

駆け落ちで一緒になった爺ちゃんと婆ちゃん。会いに行くといつも喧嘩ばかりしていたけど、どっちかが病気をすると、同じ病気で後を追う様に入院して行った夫婦だった。因縁がそうさせるのかどうか?それは誰にも分からないが、近いうちに爺ちゃんも亡くなる気がしてならない。それまでに、沢山の爺ちゃん孝行をしておこうと思う。

喜びと悲しみを繰り返し、時代は巡るのだから。

2004.01.20

永礼盟