[64]監査(下)

今回も監査について語りたい。前回のメールマガジンの内容を一言で総括すると次の一言に尽きる。
「監査など全くの無意味、単なる税金の無駄遣いに過ぎない」
今回はどうして監査は無駄なものになっているのか?どうして役所は本気になって悪徳施設や違法業者を摘発しないのか?その根底にある原因を話そう。
役所がどうして本気になって悪徳施設を捜索しない理由は単純だ。摘発しても彼らには何の得にもならないからだ。抜き打ちで施設に来て一生懸命に捜索しても、たとえその努力が実って悪徳施設を締め上げても、役人たちは特別ボーナスをもらえるわけじゃない。お役所特有の不作為主義ここに極まれりと言ってしまえば簡単だが、目標も利益も無いのに努力などする訳がない。しかし、建前上違法箇所を見つけたら何らかの対応はしないわけにはいかない。だからこそ、事前に監査日を通告してくるのだ。
「監査する日を教えたんだから、ちゃんとまずい箇所は隠しておけよ。なるべくなら落とし所(わざと不備を指摘する書類など)を用意してくれるとありがたいな」
これが行政側の本音だろう。役人にはそもそも摘発するモチベーションがない。今年の始めに起こった中国の毒ギョーザ事件を覚えているだろうか?この時、食中毒に遭った市民から食べ残したギョーザを提出されたのにも関わらず、保健所は検査を拒否した。そしてこの保健所の怠慢が更なる食中毒を呼び、全国で商品がリコールされるなどその規模は日中の外交問題にまで発展した。保健所の対応は勿論非難された。役所というのはどこでも同じだ。なぜ保健所が検査を拒否したのか?もう理由はわかるだろう。食中毒を摘発しても出世するわけじゃない。ボーナスがもらえるわけじゃない。自分の得にもならない残業を好んでする者など誰もいない。
警察がわざわざネズミ取りをするのは(当局は否定するが)ノルマがあるからだ。税務署だって同じだ。だがそれらはあくまでも例外で、役所というものは世界中どこに行っても真面目に仕事をすると損をする仕組みになっている。「社会の役に立ちたい」「国に尽くしたい」など高潔な理想を持って公務員になる人もいるが、何年かもすると保身に長ける役人に変身してしまう。ノルマもなく何もしなくても給料が貰える環境というのは快適かもしれないが、目標もなく何もすることがない環境は人間から精神的な充実感などを奪ってしまう。何も目的もなく、「自分がこれだけ頑張った」という仕事の成果が見えない環境はある意味拷問ともいえるのだ。
監査が機能しないのはノルマが無いという役所独特の性質が大きい。だがそもそも監査するべき施設や事業所が多すぎて今の都道府県の体制では十分な把握が出来ないというのも大きいのだ。介護保険が導入される前の措置福祉の時代なら1年に1回ぐらい必ず監査があった。しかし、今事業所や施設が膨大に増え、新しい事業所や施設などでは開業してから一度も監査が来たことが無い所も珍しくない。都道府県が監査するために遠い地方だと監査に行って帰ってくるだけでも一日が終わってしまう。しかものんびりペースでノルマがない役人たちは急ぐ気もないから、ますます監査は機能しなくなってしまう。
そして運悪く、介護報酬の水増しや補助金の詐取が発覚しても慌てることは無い。驚くべきことに殆どのケースでは金さえ返せば不問にされてしまうからだ。現にニチイやジャパン・ケア・サービスは介護報酬の水増しをしていたが、介護報酬を返還したためお咎め無しだった。お咎めがあったのはコムスンだけだ。コムスンの場合、あまりにも違反が多すぎたのもあるが、先の2社と違い厚生労働省の天下りを受け入れていなかったのも大きいことを指摘しておく。
俺が以上のような指摘をするとこんな反論が来ることがある。「監査をして施設や福祉企業を廃業に追い込んだら、一番被害を被るのは利用者だぞ」俺はこんなふざけた反論を聞くと、相手の良心を疑ってしまう。何を言っているのだろうか?介護報酬や補助金は税金や国民の保険料だ。それをごまかすようなマネは国民への背信行為だ。介護報酬を水増ししたり、補助金を騙し取ったり、いない職員をいると虚偽の申請して許認可を貰うなどそれらは国民の税金を横領する犯罪行為だ。それらの犯罪行為を直視しない自分たちの怠慢を棚に上げて、利用者を盾に正当化するなど人間として恥を知るべきだ。補助金や介護報酬を詐取しても返せば不問にするのは絶対許してはならない。コムスンの処分でも生ぬるい。税金を詐取する犯罪者は逮捕して塀の内側に突き落とすべきなのだ。
エル・ドマドール
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