[112]福祉関係者のヒエラルキー

2018年8月25日

前回は派遣を被差別部落の穢多・非人に例えた。今回もついでに職場内の身分制度、いわゆるヒエラルキーについて話そう。福祉に携わる人々は基本的人権を尊重し、差別を良しとしないと思われている。実際それは利用者に対してはデタラメだと俺はかつて書いたことがある(第14号「差別する介護職」参照)。しかし、世の中の人々はそうではない。福祉に関する人々はひどい差別はしないものだと思っている。そして介護者を含め、福祉関係者もそう思い込んでいる節がある。しかし、俺は次のようにはっきり言いたい。
「人間は平等だと言うならなぜ介護業界には派遣や契約社員、非常勤職員がいるのだろうか?」
言っておくが、俺はこの世に差別はあってはならないと臆面もなく主張するほどナイーブではない。小学校教育の順位を付けない50メートル走のように「結果の平等」は行きすぎだ。しかし、誰しもが平等にチャン スが与えられる「機会の平等」は与えるべきだ。人間の歴史上、格差 や競争は上手く作用すれば社会の発展に役立ってきた。しかし、福祉 業界における契約社員や派遣社員などは能力や成果に基づいた「格差」とは全く違う。それらはかつてのインドのカースト制度や人種差別同様に不道徳極まりないものだ。しかし、福祉の経営者たちは自分た ちは偏見や差別とは縁がないと言いながら、平気で従業員の差別雇用はするのだから偽善者もいいところだ。
このような主張をするとこんな反論をしてくる人が必ずいる。
「プロ野球の巨人だって、無名の育成選手が活躍しているじゃないか。 福祉業界でも頑張れば、契約社員でも非常勤職員でも常勤職員になれたり、給料が上がるんじゃないのか?」
残念だが、プロ野球のヒエラルキーと福祉業界のそれは全く違う。プロ野球は結果が全てだが、その結果を判定する基準ははっきりしている。
だが、他の業界でもそうだが、福祉においても何を持って成果を挙げたかという基準が曖昧ではっきりしないところがある。勿論、個人個人の優劣の差はあるが、それがプロ野球ほど明確ではないのだ。だからどうしても判断の基準が上司の選り好みだったりする事が多くなる。上司に好かれれば幸せだが、嫌われた場合は悲劇だ。
そしてプロ野球は結果が伴えばどんどん報酬が上がるが、派遣や契約 社員にはその可能性がない場合もある。もう最初から非常勤は非常勤 で、正規職員に絶対なれないケースもある。これは都道府県の社会福 祉事業団や公務員系の福祉施設に多いが、1年契約で契約する嘱託職 員や契約職員の場合はどれだけその職員が優秀でも正規職員になれないところもある。しかも、契約は一年毎に更新でいつ更新がストップするか分からない。まさに現代版被差別部落もいいところだ。
しかし、まだ非常勤は何をしても常勤に上がれないと最初から明確に決まっているなら、納得はできなくてもまだ精神衛生にいい。しかし、中途半端に非常勤から常勤職員に登用の可能性があるとなっている場合、事 態はもっと複雑になってしまう。まだ新人職員を雇った時にどんな職員なのか見極めるために2,3カ月は非常勤職員で採用し、問題なければ自 動的に正規職員にするというパターンならまだ救いはある。しかし、問題は何カ月、何年非常勤で勤務してある資格があれば常勤に昇格するとか明確な規定がない場合だ。その場合、下手すると何年も非常勤で奴隷状態が続くことになってしまう。非常勤から常勤へ昇格できる可能性はあるが、それは上司や経営者の気まぐれに左右される。いつ昇格になるか分からない。そしてその基準は曖昧。その心理状態はおそらく経験したものでないと判らないほど絶望的なものだ。
同じ仕事をしていて、常勤職員より給料は低い。
どうやれば、常勤になれるのか?
あと何年頑張れば、常勤になれるのか?
どうしてあいつは常勤に昇格できたのに自分はなれないのか?
ずっとこのような疑問が頭にまとわりつく。絶望感のために精神的にも荒れてくる。特に誰かが常勤職員に昇格する場合にそれは顕著になる。昇格する人は幸せだが昇格できなかった非常勤職員は当然納得しない。職場内に人間不信が蔓延して、権力争いや足の引っ張り合いで人間関係も険悪なものになってしまう。当然ただでさえ高い離職率がますます高くなる。辞めたくても次の職がなかなか見つからない人もいるが、辞めずに頑張るとしてもストレスからか利用者への対応が乱暴になったり業務に集中できない事も増える。長期的視点で見れば、職場内の人材の質の低下をもたらすなどこの身分制度にいいところは全くない。
パフォーマンスの質を下げるなど職場内ヒエラルキーにはデメリットしかない。しかし、なぜ多くの福祉事業者や施設はこのようなヒエラルキーを導入するのだろうか?
よく言われるのが人件費を削るためだという理由だろう。しかし、俺はそれはあまり説得力がないと思う。別に全職員が正規職員でも、全体を平均して賃下げすれば人件費を削れるはずだ。それにこの身分制度を続ける限り、どうしても離職率が高くなる。離職率が高ければそれだけ広告を出したり面接などの雇用コストが上がるから、結局人件費が余計にかかるという悪循環になってしまう。ましてや職場内の内紛も仕事の効率を下げるために余計にコストがかかる。施設や事業者がこのカースト制度を作りたがるのは明らかにコスト面以外での別の理由があるからだ。
それは時の権力が被差別部落やカースト制度を制定した理由と同じだ。全 職員が平等の身分の場合、団結されるとダイレクトに経営陣に不平不満が向かう。これが一番経営者には恐ろしい。だからこそ、内部でいがみ合いや不和が絶えない身分制度は支配者にとっては非常に都合がいいのだ。つ まり、派遣や非常勤職員は社員の不満を反らすため、経営者の保身のために犠牲になっているのだ。大企業などには労働組合があるが、多くの場合彼らの中には派遣や非常勤職員は含まれていない。そんな組合など単なる御用組合に過ぎない。
以上どうして福祉施設や事業者が時代錯誤なヒエラルキーを求めるのか十分にご理解いただけたかと思う。そして日本企業は現在21世紀にもなるのにこのような被差別部落を維持するつもりらしい。中核となる幹部社員を新卒から雇い、誰にでもできる末端の仕事は派遣や契約社員で賄うとのことだ。しかし、この傾向を俺は憂慮している。すでにこのヒエラルキーによる悪影響は随所に見られるからだ。スイスのビジネススクールIMD(国際経営開発研究所)が発表したところによると日本は国際競争力で07年度で55カ国中、前年度16位から24位に転落した。89年から92年に1位だったことを考えると競争力の衰えは明らかだ。この結果に疑問の声を挙げる人もいるが、俺には不思議でもなんでもない。組織や国家が発展する時は誰もが機会を平等に与えられる時なのは歴史の必然だからだ。被差別部落を保持する日本企業がどうなるかは言うまでもないだろう。
エル・ドマドール
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