第96回 阿吽の呼吸

2019年3月16日

こんにちは、永礼 盟です。ご購読ありがとうございます。

以前いた小規模ホームの時も、現在いる大規模ホームでも、業務をしていて感じる事があります。それは、『阿吽の呼吸』で仕事をしていると言う事です。

日本人のいけない所として挙げられる『阿吽の呼吸』ですが、どうしてもこの仕事はそれが必要だと感じるのです。どこの施設も、早番や遅番で業務が決められていると思います。何時に何をしなくてはいけないかの業務分担がされていますが、時間通りに業務をまわさないのが老人ホーム。長所であり、短所でもあるこの思想に『阿吽の呼吸』は必要不可欠と感じます。

私は最近、同じ系列のホームに異動したのですが、その理由の一つに信頼出来る仲間が退職してしまったと言う事がありました。他の職員に依存している訳ではないのですが、長く業務を共にすると、今あの人が何をしているのか想像できるようになります。車椅子の利用者を誘導するにあたっても、あいつがここに行ったから、自分はあそこに行こう。業務がかぶらないように、そして効率よく業務がまわせるように、互いの想像力を働かせます。

各自が持っているピッチに確認すれば良い事ですが、直接確認する前に感覚で確認し合うイメージと言えば解るでしょうか?だから、業務に早い遅いが出てくるのだと思います。

日に何名の職員で業務を行うのかによっても違うでしょうが、小規模の場合、その第六感的な想像力が業務にリズムを与えてくれ、要領よく仕事がこなせる要因となるのは自分だけが感じていた物だと思っていました。

新しいホームに異動して、仕事が出来る職員が退職してしまいました。隙きなく業務をまわしているそのスピードの中に、利用者の様子の変化を感じ取れるアンテナを張り巡らせています。一緒に働くとそのすごさが解ります。環境が変わると言う事は、こんな刺激を受けられる事でもあり、とても勉強になりました。

その人が、退職する前に私と同意見だった事が驚きでした。彼も、一緒に働いていた仲間がいなくなって、とてもやりにくいのだと話してくれました。私も以前居たホームで、似た様な思いをした事を告げ、その人と仲良くなりました。彼は、ずっと悩んでいたのだと思いますが、特養派として頑張るには『阿吽の呼吸』で動けるパートナーが必要だったのかもしれません。言葉にしなくても、お互いに行動を見抜く事が出来るようなパートナーが。

もう一つ『阿吽の呼吸』とは関係ないのですが、仕事がしやすい環境と言うのは、自分が作っているのではなく、共に働く職員が作ってくれている事を痛感しました。

異動の理由だった一人の退職者と、職員からのバッシング。異動して環境の良さを噛み締めています。『阿吽の呼吸』が、今まで自分を助けてくれていたのです。その人から助けられていたのです。自分が善くも悪くもなるのは、自分以外の人たちによる物だと改めて思うのでした。

2005.03.06