第7回-在宅介護に必要なもの

2018年8月26日

暖かくなってきましたね。こんにちは、お元気ですか?風もなく穏やかな日に、近所の梅林公園に行ってきました。娘達にはよい散歩になったようです。園内は、ベビーカーでも問題なかったので、車椅子でも行けそう。今週か来週あたり、また父を誘ってみようと思います。もうすぐ梅も終わりですよ、今度は桜です。

最近、老人養護施設に勤めている友人と会う機会がありました。彼女は看護士です。私は気になっている事について質問してみました。それはリハビリ再開についてです。

もう随分前から、病院のリハビリに行かなくなって、父の生活の場は家の中だけになってしまいました。しかも、デイサービスやショートステイといったサービスを受けるのも嫌がるので、全ての世話を同居の母がしています。

以前から、お風呂だけでも介護保険のサービスを利用する方が良いと言っているのですが、母は、「自分ができる間は、家で入れるよ」と言って聞きません。

見ている限り、入浴は週に二回程なので、母が言うようにそれほど大変ではないのかな、と思ってしまいますが、父と母の体格差があまりに大きいので、いくら週二回とは言え、やはり負担はあるでしょう。まずは、遠回しに聞いてみました。

「どう、職場は。色々な人がいるでしょう?」
「いるよ、皆歳を取っているだけ、癖も強いしね」
「人の言う事聞かない人もいるよね」
「そうだね、でも皆芯には寂しい気持ちがあるのかな」

今は、入所してくるほとんどのお年寄りに認知症が認められるそうです。在宅で家族のお世話をするのも大変ですが、施設で複数の方のお世話をしている彼女の仕事は、本当に大変そうでした。彼女の勤務する施設の所長さんが、こう言ったそうです。

「介護する側が体調を崩して、やむを得ず短期で入られる方もいるが、そうでない場合が多い」

自宅で、自分達で面倒を見るのが嫌だから入れる、と言う意味でしょうか。一昔前なら、まだ施設の数も少なく、家族を施設に入所させたりすると、ご近所から後ろ指刺されるようなこともありました。でも、現代のような超高齢化社会で、老人養護施設も様々なサービスも充実している様に見えると、家族だけで見るのが当たり前、という考えも薄れていました。(あくまで私の中で)

でも、考えてみれば、実際入所する側だったら、やっぱり悲しい、寂しいと言う気持ちももちろんあるのだろうと思います。それぞれの家庭に、それぞれ事情があって、施設を利用しておられるでしょうし、状況が整えば在宅で、やはり家族で介護したいと思ってらっしゃる方も多いと思います。今現在、在宅で介護にあたられているご家庭でも、要介護者の状態や家族の協力が得られるかどうかや、サービスを上手に利用できているか、千差万別でしょう。

友人は、我が家の状況を聞いて、言いました。
「私達は、なんだかんだ言ってもサービス業。ディサービスやリハビリに本人が行きたくないと言うのなら、無理に引っ張っていく事は出来ないよ。でも私達プロが五十キロの人をお世話するのもキツイのに、お母さんが九十キロのお父さんの世話を一人でしているのは、心配だね。外に出るのが嫌なら、訪問してもらえばいい。早いうちに訪問介護サービスを受ける事を薦めるよ」

近くに住んでいても、現在私が実家に顔を出せるのは、多くても週に一回。しかも3才・1才の子供からはまだ目が離せません。なにより子供たちに会うのを楽しみにしている両親なので、いつも一緒に訪問します。実家近くの兄や弟も、仕事が忙しくなかなか足が向かないようです。こうしてどんどん時間は過ぎていき、元気だった母の限界が来てしまってから初めて、事の重大さに気づく所でした。

時々、悲しいニュースを耳にします。老人夫婦の孤独死や、介護疲れから殺人に至ってしまったというケース。誰も頼る人がいなかったから、誰も関心を持たなかったから、誰も話を聴く人がいなかったから、…とても悲しい事です。在宅介護に必要なもの、それは家族の協力。そしてサービスを上手に利用する事。家族のお世話を、外部の方にお願いする勇気。一番大事なものは、要介護者だけでなく介護者の健康だと、つくづく思いました。
渡部紗也
2005.03.27