やはり始まった曽我さん一家へのバッシング。「ジャカルタのホテルはぜいたくすぎる」「夫のジェンキンスさんは米国人、日本が面倒をみる必要はない。米国人と結婚した曽我さん自身にも責任はある」などと述べ立てている人がいます。おかげで参院選の結果もあっという間にニュースから消え、鈴木善幸元首相が亡くなったのすら知らない人もたくさんいることでしょう。私自身も税金の無駄使いはやめてほしいと思うものの、ホテルについては安全の確保と報道陣、北朝鮮関係者からさえぎるにはあの方法しかないのではないでしょうか。ホテル側としても他の宿泊客に迷惑をかけないためにはあのような措置しかないと思います。事実、ジャカルタには日系のホテルがいくつかありますがなぜ受け入れてくれなかったのでしょう?
ホテルがどうの、ジェンキンスさんがどうの、と言う前に本質的な問題は日本という国が拉致被害者の問題をあまりにも長く放置したことです。10代や20 代で拉致され四半世紀北朝鮮で過ごしたということは就職、結婚、出産と人生の活動的な時期をすべて北朝鮮で送ってきたことになり、リストラされるような年代になって日本へ戻って来れても、貯金があるわけでも、老後年金がもらえるわけでもありません。帰国後の生活設計のほうが私には気がかりです。また、米国人のジェンキンスさんならまだしも、寺越武志さんのように現地で要職に就き、北朝鮮の方と結婚し、お子さんも現地で結婚されている場合はどうするのでしょうか?曽我さん一家の再会から帰国までをワイドショー化してしまったがゆえに本質のほうが見失われているような気がしてなりません。
これと同じ状況がビジネスシーンにもあり、海外のビジネスパーソンたちと比較して日本のビジネスパースンはとても感情に流されやすく大人ではないと思うことが会社員の頃からよくありました。逆に外国人というのは日本人なら二度と口を利かないであろうと思うような事態に陥っても得になると思えばとことんしがみついてきます。それをまた「気にいられている」と勘違いしたり、自慢している日本人も多く、国際化時代にはまずメンタリティを鍛えねばなどと思ったりもします。
感情的、良く言えば情緒的なことには良い面もたくさんあります。たとえば、戦争の被害にあったイラクやアフガニスタンの子どもの来日治療のために、さっと募金が集まる、あるいは新潟や福井の集中豪雨の被災地へ借金をしてまでボランティアに行く人など、日本人もまだまだ捨てたものではないと思い直したりもしますが、身の回りの弱者に対してもそうかといえば逆にいじめがあったりで、この辺りの落差がきわめて情緒的であるがゆえの問題といえます。
読者の皆様は仕事や取引先を「好き」「嫌い」で区別していませんか?ささいな事で「あんな人とは二度と会いたくない」という気分になり、チャンスを逃がしたことはありませんか?あるいはその場の雰囲気に乗せられてだまされたことはありませんか?もう少し冷静に、やるべき事をしっかり見据えて行動すれば必ず成果はついて来ると思います。
河口容子
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