第6回-シンプルな生活

2018年8月26日

こんにちは、稲垣尚美です。春ですね。花粉症もすごい。

うちの施設は、山の中にあるので花粉症になる職員が、とても多いんです。かくいう私も施設に行くと花粉症の症状が、出る。去年からです。最初は、なんで目が痛いのかわからず、逆さまつげが、のびてきたのだろうと目医者に行ったのですが、治らなくて、コンタクトをすると症状がやわらぐ。これで花粉症なんだってやっと気づいたんです。コンタクトが、目をカバーしてくれるんですね。それまでは、自分だけは、花粉症にならないってたかをくくってました。

しかし、しかし不思議なことにあの花粉の中に住んでいる施設の住人達、つまりお年寄りは、誰一人花粉症にかかってないのです。やはり小さい頃から自然のものしか食べてなかった老人達と小さい頃から添加物の入ったものばかり食べてきた私達との差でしょうか。

施設には、痴呆の老人と痴呆じゃない老人が、います。居室の一人当たりの占有面積は、とても狭いです。病院と同じくらいでしょうか。痴呆じゃない老人達は、そのスペースにところ狭しと個人所有物が、置いてあります。ベットのシーツ交換をする時にとってもやりにくいです。荷物の間に入ってのシーツ交換。すごく狭い。それにベットの上にもいろいろな物が置いてあるので今まであった通りに置いておかないと「あれは、どこにやった」と騒ぎ立てられます。狭いスペースに詰めこまれているから多くみえる荷物も私達から見れば、ずいぶん少ない。たぶん、施設に入所するにあたって今まで持っていたものをずいぶん処分されてきたのだと思います。80年以上、生きている人達ですから、思い出の品もずいぶんあるはずです。たぶん選びに選びぬいてある荷物が、施設にもちこまれてるのでしょう。

だから痴呆じゃない人達の居室は、雑然としているのですが、痴呆の人達の居室は、実にさっぱりしています。人間、ここまでシンプルに生活できるのかと思うくらいです。小さな棚が、それぞれのベットについているのですが、その季節にあった下着と靴下、そして上着とズボン、パジャマなどがそれぞれ3組くらい。それからカーディガンや靴程度です。他の季節のものは、棚の奥にしまわれてます。あとは、本人のお気に入りの帽子やスカーフなどが、あります。たったこれだけです。棚の中に全部、収まります。これだけあれば、朝、パジャマから普通の服に着替えて、一日を過ごし、夜、寝る前にまた、パジャマに着替えて寝るという普通の生活が、送れます。あとは、共用のもので生活しているからです。食器は、個人の物は無いし、お茶を飲むコップも共用です。お風呂に行けば、バスタオル、浴用タオル、全て置いてあります。人間、ここまでシンプルになれるんだなとよく感じます。服は、共用ではないのでその人らしさというものは、失われません。その人が好きな服、似合う服が、おいてあります。

痴呆の人と痴呆でない人のこれだけの荷物の違いは、入所してくる時の違いです。痴呆でない人達は、入所する時にまず「どれだけ持ってきていいですか?」と聞かれます。占有面積を見ていただき、「ここに入るだけにしてください」と言うわけです。痴呆の人の場合、本人ではなく家族との相談になります。だから、季節にあった服を3組とパジャマを3組くらいにしてくださいと言うことができるのです。痴呆じゃない人達は、今まで持っていたものをどれだけ減らすかというマイナスの考え方ですが、痴呆の人達は、まず何もないところから服とパジャマを足していただくという考え方だから、荷物の差がこれだけ歴然としているのかと思います。

痴呆の人達と痴呆でない人達の生活は、それほど大差ありません。ほとんど外出しないし、食事も同じ物を食べ、お風呂も同じ環境で入ります。だから、痴呆じゃない人達も痴呆の人達と同じだけの荷物に減らしても生活には、困らないはずです。こんな場所で人間の潔さが、どれだけ出るかというところですね。

もう亡くなったマザーテレサが造ったインドのカルカッタにある「死を待つ家」で働く人達の個人所有物は、もっと少ないと何かに書いてありました。小さなバケツと少しの身の回りのものだけだったでしょうか。それでも普通に生活していけるんだなと感心した記憶があります。

私自身、整理しきれないほどの物を持っています。いかに減らしていくかというのは、人生の課題かな。

2002.03.22