第79回 死

2018年11月11日

それは、突然訪れました。食事が終わると、冷や汗をかいて急に呼吸が荒くなって行きます。トイレから帰って来たら突然苦しみだしたと、一人の職員がナースに報告していました。血中濃度酸素は、88以上上がらず不整脈が出ています。情報を集めだすナース、リーダーと、リーダー補佐の間に、見えない慌ただしさが浮かび上がります。「救急対応」「いや、救急でなく」「救急の方がいいでしょう」そんなやり取りが微かに聞こえて来ます。

その人増岡さんと出会ったのは三年前でしょうか? 静かな雰囲気かと思いきや、江戸気質の粋なお婆さまだった意外性を思い出します。「お兄ちゃん、年はいくつだい?」ダミ声で質問される内容に一つ一つ答えていくと、だんだん打ち解けてくれた事、忘れません。元々人が好きで、すぐに心を開いてくれた増岡さん、もう三年の月日が経っていたのですね。

その状況を見て、なんとなくこれが最後の様な気がしました。苦しみ、もがいている訳でもなく、ただ「胸が苦しい」と淡々と訴えられる姿に「もしかしたら….」そんな気持ちになったのです。救急対応になる前に、ナースから指示された事を行いました。出来る限り普通に、いつもと変わりない声かけを行いながら。心では、この人に今まで自分は何が出来たのか? それを思っていました。三年の間に、沢山の思い出が出来ていました。一緒に居室で冷酒を飲んだ事、外出レクで動物にふれ涙されていた事、夜中に混乱して殴られた事、お兄ちゃんが一番の息子だからと言ってくれた事、永礼さんと名前で呼んでくれた事、声かけしているうちに沢山思い出しました。きっと、もう病院から帰ってこないと言う勘が働きました。だから今、普通に接する事を心がけたんだと思います。その時、ナースに指示をもらい、増岡さんと接する事が出来て良かったと、心から思います。

救急隊が到着し、経過を報告します。すぐに酸素がされ、ストレッチャーに乗せられます。きっと、普通のスピードの光景でしょうが、なぜか自分には色あせたスローモーションに映りました。人間が見せる光景って面白いですね。なぜそういう風に見えたのか、今でも不思議でなりません。

外は豪雨。台風23号が直撃したこの日、救急車でホームを後にしました。この時誰もが、やがてやって来る死を予期した人はいないでしょう。私だってこんなに早く逝ってしまうとは思いもよりませんでした。

リーダー補佐から状況を申し渡されました。その日の夕方です。「たった今、増岡さんが亡くなられたそうです。永礼さんには、白いシーツがあるかどうかの確認と居室の整理をお願いします。」そう言い渡され、居室の整理をしました。そこへ、ノックの音がします。病院へ同行していた職員が戻って来たのです。涙を流しながら、気丈に「最後は苦しまずに….」そう教えてくれ、居室の整理をしました。

病院で様態が急変したそうです。突然心臓が停止し、そのまま安らかに息をひきとったと、リーダーから情報が降りてきます。この言葉を信じたい。リーダーは優しい人です。同行していた職員の涙で、病院での光景が察知出来ます。でも、私はリーダーの言葉信じたい、そして優しさに敬意をはらいたい。

沢山の事を教えてくれた増岡さん、今はただご冥福を祈るばかりです。自分の婆ちゃんよりも母ちゃんよりも、接する時間が長かった。その時間はかけがえのない宝です。沢山の感謝の気持ちを込めて、ご冥福をお祈り申し上げます。

整理されたベッドの上には、増岡さんが飼っていた猫のぬいぐるみが置かれていました。帰らぬ主人を心待ちにするかのように、三匹の猫達がベッドで戯れているのでした。

2004.10.28

永礼盟