【第8回】有料老人ホーム実態編(4)

2019年3月18日

さてさて、お風呂に入らなくても人間はけしてそのことが原因で死ぬということはまずありえないのは周知の事実である。ところが、食事を食べないで生きていくということはできない。生物としての人間の生命維持活動ができないからである。なんともいじましくなってしまうが、どんなに痴呆が進行しようが身体の自由が利かなくなろうが、人は口に何かを入れて食べようとする本能に近い行動は残存する。また、いいかえれば、人間の日常生活の中での最後の楽しみが三度、三度の食事になる人が多いということである。

というわけで、老人ホームでも、明日のご飯の献立が黒板に書かれるのをみるのが、吉幾三をテレビの歌謡番組でみるより楽しみというご老人はたくさんいる。時計の読み方は忘れてしまっているが、両国の国技館の千秋楽が終わると規則正しく食堂の椅子に座りにくるおじいちゃんがちゃんといる。相撲のない時期は当然促さないと食堂にはこないわけであるから、彼にとって相撲をみたら夕飯というのはしっかり長年の人生で彼は習慣にしてきている、日常生活の一こまであるにちがいない。

適時適温給食という表現が、老人ホームでうるさくなってきたのは、確か病院食の食材費が実費となり、基準給食への適合をとるためには、どうしても朝8時、昼12時、夜6時配膳を実現しなければならなくなった時期と重なる。朝八時は通常の職業戦士のいる家庭ではあまりにも遅いし、夜6時は子供たちまで塾に行っていて、部屋に明かりさえついていない家が増えてきている現代においてはけして遅い時間ではない。

ところが、食事を作って出す側の論理としては6時に配膳して、7時半ぐらいにお膳を運ぶ保冷、保温車が戻ってきて、下洗いをして洗浄機に分けて、残飯やごみをまとめて処理すると午後八時をまわらないと厨房の職員は帰れない理屈になってくる。むろん、厨房も早番、遅番、日中勤務と3交替でまわしているところが多い。早番は、朝5時には出勤してくるが、人数もやはり少ないのでかなり、朝の暗いうちからやって電気がついて出し汁の香りがする厨房もてんてこ舞いである。

よく朝食から、和食か洋食か、選択献立を実施している施設があるが、あれはたいしたものとも言える。和食も、旅館のご飯のように佃煮に既製品の出し巻き、生卵、海苔に漬物とはいかない。前日仕込みながらも大根とちくわの煮付けに目玉焼き、野菜炒めぐらいは作らないといけないから、早番の職員は4時半ぐらいには厨房に入るのが普通。洋食の朝ご飯は、サラダにスクランブルエッグ、ボイルソーセージぐらいに、半解凍状態で仕上げにオーブンで焼くと焼くたてパンになるタイプのほかほか出来立てパンを添えると十分に豪華である。
一日のうちで、一番人手と時間がかけられるのが、やはりお昼である。逆にお昼を麺類などに簡単にしているところは、昼食準備をしながら同時に夕飯の下ごしらえや準備にはやめに取り掛かっているところが多い。

さて、施設ならではの特色は、特に高級老人ホームであればあるほど、個人の食事形態に合わせた食事の提供である。個人の嗜好の幅に考慮した上で、減塩・単価がとても高いひまわりの油、沖縄の塩(本物かどうかは怪しい)、仕込みをオーダーした味噌、しょうゆに契約栽培で取れたての無農薬有機野菜などの食材を使っている施設はいくつもある。嚥下困難な方には、とろみアップやスルーソフト等を使った食事、糖尿病の制限カロリー単位に応じた食事に、刻み食、流動食、御粥食など、親献立のバリエーションはかなり広い。

食材費は、利用者から実費をいただけばよいのだから、ニーズに合わせた食材、食形態、献立をある程度はコストも考えずにできるのは高級有料老人ホームならではのサービスと私は信じるが、苦情のいえない利用者相手に病院以下の冷凍食材を平気で使い、セントラルキッチンで調理した料理を温めなおして出したりして、ばっちり利益をあげている某有名なゴージャスというコンセプトが売り物の有料老人ホームがあることをここでお伝えしておくべきであろう。

今回は表過ぎたので、次回は有料老人ホームと大手給食会社の仲の宜しい話から、食事の介助について話をすすめることとしよう。

2005.09.10