【第31回】特別養護老人ホームの実態(20)~戦争とタブーその7~
(事の顛末)
ずいぶん、ご無沙汰してしまったが、お元気であろうか?筆者は、海外にでかけていたわけでもなく、私用でバタバタしていただけで、原稿書きを休載してしまい、心からお詫び申し上げたい。フリィピンにてとある島で、亡くなったEさんが環境の狂気の中に人間としての理性や良心を蝕まれていったところで話が途切れてしまった。桜のつぼみの時期から桜吹雪、葉桜となった今日に再び、連載を続けることに決意したので、宜しくお付き合いください。
さて桜は散り際がもっとも美しいが、人間の散り際はあまりにもあっけないものである。多くの人が、生きるために人の生命を奪い、略奪をした時代のことについては、Eさんの年齢層の方々は一同に口を閉じたままである。「大変な時代だった。」遠くを見つめながら、つぶやくのみである。
ずいぶん迷ったが、Eさんの現地の人々へのそのあとの行為については本人の中で、例え痴呆がどんなに進行しようとけして消し去ることができないことを考え、これ以上仔細に記述することはとりあえず、避けたい。
K元少尉は、Eさんの行為を一言も責めたりしなかったが、気がつくといつも黙って哀しい眼を彼に向けたらしい。「私はこの戦争は早く終わらせないと日本人もフィリピン人ももっともっと不幸になると思います。」K元少尉が、村の診療所の視察に行った際村人に襲い掛かられ、息を引き取る直前につぶやいた一言であったらしい。
「K少尉殿、自分は、自分は村の治安維持のために見回り強化の応援にこれから行って参ります。」両足をぴんとそろえて背筋を伸ばし、敬礼し、今夜も終わりのない心のジャングルの中をEさんは彷徨い、歩き続けている。歩き続けて、疲労から眠りにつくのはいつも明け方のことであった。長い廊下の隅の床に毛布を引いて壁にすわったまま、眠る姿は、Eさんのけして終点のない戦地の中で、険しい眉間の皺が取れ、妙に若者みたいな、穏やかな表情をしているのだった。
Eさんの食事・薬拒否が始まったのは途切れ途切れにEさんから聞いたK元少尉とのエピソードに夜な夜な耳を傾けた数ヶ月が過ぎたある日の事であった。「食事はもう、十分にいただきました、他の人に分けて差し上げてください。」「このご飯は美味しそうにみえるが、実は毒が混入されている。だまされてはならない。」などと、静かになおかつ厳粛に拒否した。
「食事はあなたの分です。毒見をしました。どうぞ、召し上がってください。」とスプーンでEさんの目の前でご飯を口にした職員もいたが、Eさんは口を横に結んだままで腕組をしている。お茶さえも口にしない。「召し上がっていただかないと、とても私Eさんの御身体が心配なんですが。」と声をかけた。しゃがむ私の肩に手をかけて、「実は井戸に毒を少々入れた。内緒だけど、上の命令で。あんただけにはお話しておく。」とひそひそと低い声でささやいた。「そうでしたか?では毒消しを井戸に入れてきますね。」「それはだめだ。命令に背く。今夜もういちど井戸にさらに毒を入れるから。」こんな問答が続いた。
施設は井戸水ではないし、もちろん毒を入れるということができるはずはないのだが、Eさんの頭の中では事実となっている。「毒が果たして入っているかどうか、どう調べるかご存知ですか。」「いいや、知らん。」「この水は私が家から持ってきました。この粉を入れるとわかりますよ。緑色になれば毒が入っていませんから。」某胃薬の粉末をコップの湯冷ましに溶かして差し出した。「いいや、やめておく。欺こうとしてもその手にはのらんから。」押し問答が続いた。
高齢者というのは、脱水という状態が非常に怖い。熱発するので、わかるが、そうなる前に経口で水分を取らせたい。Eさんは、ベッド上に静かにあぐらをかき、座禅のように瞑想をはじめた。お釈迦様は、悟りを開く前に断食、瞑想に入られたわけだが、高齢者にはこれは困る。かといって、みねうちというわけにもいかないからやっかいなことになった。麻酔薬をかがせるということもできないので、暫くは見守ったが、状態は変化しないので、Eさんが顔を知らない職員の息子さんに一芝居を打ってもらった。
その息子さんは、若い頃のEさんの世界のK元少尉と同じくらいの年頃だった。「Eさん、私と飲みませんか?」Eさんは大きく眼を見開いて、両手を差し出した。硬く握り合ったはずの両手が静かにくずれた。Eさんの身体はゆっくりとその息子さんの腕の中にくずれ落ちていった。こうしてEさんは眠るようにその長い戦いに終止符をうち、あの世に旅立っていった。葉桜の緑が優しい陽射しに揺れる4月の午後のことであった。
2006.04.29