[86]インフルエンザ狂想曲

2018年8月25日

今回のテーマは福祉とはあまり関係がないと思うかもしれない。だが、全く関係ないわけではない。今日本全国に蔓延しているインフルエンザ騒動はまだとどまることを知らない。ほとんど普通の風邪と変わらない症状にも関わらず、まるでペストやエボラ熱のような警戒をしている。イベントを中止するばかりか教育機関も閉鎖するなど狂気の沙汰としか言いようがない。もはや偏見が偏見を呼び、冷静で理性的な意見は聞かれない。考えてみれば福祉にもこのような事態は日常茶飯事である。今回は新型インフルエンザにまつわる偏見と恐怖について語ろう。
このメールマガジンを書いている現在、大阪や神戸では学校が一週間強制閉鎖され、街にはマスクをつけている人々も多い。しかし、学校が休みになり喜んだのか街をうろついて遊びまわる高校生や中学生が多いのが実情のようだ。つかの間の休日を楽しむのは一向に構わない。しかし、これでは閉鎖の意味は全くないだろう。
大山鳴動してネズミ一匹
俺は今回の騒動を見て、このことわざがぴったりだと思っている。そして改めて医療従事者は世界中どこでも同じだ。特にフェーズ3から4に上げたWHOには失望した。安保理を始めとする国連の無能振りには驚かないが、WHOも所詮国連の一部、同じように無能なのは仕方ないかもしれない。医療従事者の過剰反応が疑心暗鬼を呼び、パニックがさらにパニックを呼ぶ。彼ら医療者たちは患者を癒すどころか騒動を大きくしているだけだ。カナダに留学した高校生が発症したときなどはホテルに隔離軟禁状態にまでした。こんな対応は人権問題もいいところだし、第一本人が特定されかねない報道はいかがなものか?感染者だと報道された人は犯罪者でも有名人でなんでもない。単なる一介の高校生ではないか。それをマスコミが率先してプライバシーを暴いている。社会の木鐸とも言えるマスコミは恐怖の魔女狩りをあおっていると非難されても仕方あるまい。
実際のH1N1型ウイルスの感染者だと(思われる)人は5月20日現在でも42カ国1万人程度。死者も全世界で100人行くか行かないか。日本国内の感染者も200人にも達していない。つまり感染者は日本国民の0.01パーセントぐらいしかない。諸君の周りに例の新型インフルエンザにかかった人は実際いるだろうか?おそらくほとんどいまい。4月の後半からメキシコで大流行したものの思ったよりも毒性が低く、犠牲者も少ない。拍子抜けもいいところだと思われていた矢先、日本の大阪と神戸で感染者が見つかった。しかも海外渡航暦もない高校生からだ。俺はこの報道を聞いたときにこう思ってしまった。
「え?このタイミングで???」丁度H1N1型ウイルスの脅威が下火になってきたタイミングで、日本国内神戸で初めて感染者が出たと言う。あまりにもできすぎたタイミングだ。簡易検査でA型インフルエンザだと判明し、国立感染研究所の遺伝子検査で判明したと言われている。国内特に関西でパニックが起こり始めたのはその後からだった。しかし、俺はH1N1型を判定したこの遺伝子検査には疑義を感じざるを得ない。憶測でモノは言いたくないが、果たして本当に正しい結果が出ていたのか疑問なのだ。こんなことを言うと「専門家がきちんと調べたんだから正しいはずだ」と言う人が多いだろう。多くの人は科学検査などは絶対信用置けるものだと思っている。しかし、俺に言わせれば医療機関の検査は完璧なものではない。ミスや誤認と切っても切り離せないものだ。医師が血液検査をして、あまりにも予想とかけ離れた結果が出た時はもう一度検査をやり直しさせるぐらい信用がないものだ。所詮は人間が検査する以上、誤りがないなど有り得ない。
先端科学技術の粋を集めた検査は多くの失敗を重ねている。例をあげれば、今年の2月に愛知でうずらに鳥インフルエンザウイルスが検出されたとあったが、あとで検査ミスでうずらに感染した証拠はなかったことが判明している。ましてや遺伝子検査については先日重大な誤りが報道されたばかりだった。足利事件(90年に栃木県足利市で4歳の幼女が殺害された事件)では被告のDNAと現場に残されていたDNAの一致が決め手になったが、後に高裁がやり直しを命じたところ、全く別人であったことが判明している。そのときには最新の科学技術でも後世にまた発達した科学技術で真実が覆されることは珍しくない。ましてや新型でサンプルもまだまだ少なく、検査技師に経験も不足しているのにどこまでH1N1型を判明した遺伝子検査を信用できるのだろうか?
今回の騒動では街中にマスクを着用した人々が増えた。どこのドラッグストアでもマスクは品薄で飛ぶように売れているという。俺はこのマスク姿自体も恐怖や差別を煽っていると断言する。最初メキシコでもマスクを配る映像を見たことがある人はいるだろう。しかし、公共の場でマスクを多くの人が被る姿は日本のみの現象であると強調しておく。
いつか述べたように今回もマスクについても言及しておく。マスクにインフルエンザの予防効果、感染防止効果は全くない。いくらマスクしていてもウイルスを吸い込むことも吐き出すことも防ぐことはできない。小賢しい医師や専門家は「ガーゼのマスクは駄目だが、不職布のものなら大丈夫」「口だけではなくあご、鼻まで覆い、隙間ができないように着用する」「確かにウイルスは通すが飛沫は止める」などと言うが耳を貸してはいけない。一見偉そうな医療関係者連中が言うことは説得力がありそうに聞こえる。しかし、科学的に考えれば下らない理屈もいいところだ。
不織布だろうが紙製だろうがマスク越しに呼吸ができることはウイルスも一緒に吸い込んだり吐き出しているということだ。何度も言うが現在の科学ではウイルスと酸素を分離できる素材のマスクは開発されていない。唾液などの飛沫は止められても意味はない。インフルエンザは空気感染するからだ。そして医療従事者が「マスクを外す時は耳にかかる紐だけを持って本体を持たないように捨てて下さい」と言うのを聞いたことある人もいるだろう。どうしてそんな面倒なことを指示するのかわかるだろうか?それはマスクそのものがかなり危険なものであることを示唆しているのだ。マスクは10分以上も装着すればウイルスを防ぐどころかあらゆる細菌やばい菌を集める絶好の触媒になってしまう。まったく下らない。だったらマスクを止めれば良いだけではないか?マスクが役に立つ状況とは花粉症の時と有酸素運動をする時ぐらいだろう。あとは銀行強盗をするときにお勧めだ。
エル・ドマドール
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