[97]会議(2)
前回では10か条のダメな会議の条件を提示した。今回はそれについて語りたい。
(1)月に累計2時間以上会議をしている。
(2)決められた時間に終わらない。
(3)休みの職員も招集するなど、できるだけ最大限参加者を募りたがる
(4)多数決を取るとどれか一つの案に偏ることが多い。
(5)1週間に1回、1ヶ月に1回など必ず定期的に行われる
(6)メインの会議が始まる前にメイン会議で何を話し合うかなど司会や上司たちの間で打ち合わせが行われている
(7)やたら念入りの会議レジュメを作る
(8)会議後の議事録を平然と修正する
(9)会議後、一部の人間たちで話し合いをしている
(10)会議の時にやたら熱心になる職員が多い
読者諸兄の職場での会議はこの内のいくつか該当するものもあるだろう。いくつ以上だとダメ会議だとかそんなものはないが、該当するものが多ければ多いほど会議によって蝕まれている職場であることは確かだ。先週も述べたが、ダメな会議は時間を浪費するだけではない。それは職員のモラルや士気を奪い、荒廃した職場になってしまう恐ろしいリスクが隠されている。ダメ会議は職場を蝕む。それを覚えて欲しい。
(1)月に累計2時間以上会議をしている。
(2)決められた時間に終わらない。
このふたつがダメなのは言わずもがなだろう。上司になるといろんな種類の会議を掛け持つため月10時間以上会議に出席する人もいるが、そんなに長い時間現場にいなくてもいいならそんな上司は元々不要だろう。会議は何のためのするのか?未だに俺は明確な答えが導けない。意見を集めるためなら他にいくらでも方法や機会はあるはずだ。第一、人の意見を聞かない上司に限って会議をしたがる。コミュニケーションや士気向上のために会議をするなど会議の本来の目的ではないはずだ。情報共有するためという意見もあるが論外。そんなもの他に方法はある。ここではっきり言うが、会議なんて上司の決断力を補うためのものだ。多ければ多いほど上司のしての欠陥を露呈しているに等しい。何度も言うが会議をしているだけでは何も生み出せない。
決められた時間に終わらず延長戦になっている会議はいくらでも見かけるが、これも時間の無駄だ。福祉の職場はそんなに暇なのだろうか?「皆の意見を聞く」なんて言うが、意見なんて募集したら収拾つかなくなるくらい出る。参加者は協調性の無い人間だとみなされないように普段は大人しく振舞うものだが、会議の時にはあたかも「自分の意見が絶対正しい」と独善性を剥き出しにするから不思議だ。だが、どんなに貴重な意見でもいくらでも採用できるわけではない。それぞれのエゴや面子がぶつかり「船頭多くして船山に登る」状態になってしまっている会議はいくらでもある。だが、結局結果が悪ければ責任を取るのはリーダーなのだから、時間になったら議論を断ち切り自分で決断をしなくてはいけないのだ。議論を一方的に打ち切れば不満に思う参加者がいるだろうが、職場は幼稚園ではない。個人のエゴよりもチーム全体の利益の方が大事ではないのか?そのことを毅然と示せるリーダーがいないことが問題なのだ。
(3)休みの職員も招集するなど、できるだけ最大限参加者を募りたがる
「利用者が第一に優先されるべき」など熱い理想をためらい無く語る福祉関係者は多い。しかし、そんなもの偽善に等しい。現に会議になると休みの人も含め、業務中の人間も会議に率先的に参加したがる。本当に利用者が大事なら会議に参加している暇はないだろう。福祉の職場は当然24時間営業で誰かが業務についておかなければならない。そのため最低限の人員で介護業務をさせているが、それでは介護はなおざりなものになるだろうし、利用者の要望に最大限応えることもできない。介護の質を落としてまで会議をしなければならない理由はなんだろうか?それはリーダーたちの保身や決断力の無さだ。自分ひとりで決断できない彼らは部下を巻き込んで責任逃れをしたいのだ。「皆で決めたことだから私に責任はない」上司の責任逃れに付き合わされる部下は大変だ。
(4)多数決を取るとどれか一つの案に偏ることが多い。
このような事が常態化している組織には「言論の自由」がないと言ってもいい。「自由に忌憚のない意見を聞かせて欲しい」とリーダーたちが言っても本当にそれをしたらどんな目に遭うか判らない。また現場で起きている不都合な事実を指摘すれば上司の不興を買い、人事で冷遇されかねない。このような恐怖政治がまかり通るところは参加者が会議の状況や流れを読むことに必死になっていることが多い。誤って少数派についてしまわないように戦々恐々としているものだ。だから多数決を取ると一方的な差になることが多いのだ。だが、自由意思が保障される民主社会では多様な意見に分かれるものだ。それが一方的な大差になるのは北朝鮮などの独裁国家ぐらいだろう。先ほどの個人のエゴが剥き出しになるような「衆愚政治」も問題だが、本音が言えない「独裁社会」の方がもっと悪い。会議においては民主主義である必要は無い。だが、言論の自由も保障しない会議は百害あって一利なしだ。
(5)1週間に1回、1ヶ月に1回など必ず定期的に行われる
会議は定期的に行われるもの。そう信じている人が多数だろうが、会議は必要が無ければする必要は無い。会議なんて元々リーダーたちのリーダーシップの無さや決断力の無さで行われている。リーダーたちがきちんと決断ができれば不要な代物だ。なぜ定期的に会議をするのか?本来会議は問題を解決するための手段だったはずだ。もはや会議をすること自体が目的と化してしまっているのだ。これでは会議が時間の無駄になるのは無理は無い。
続きはまた来週にしよう。
エル・ドマドール
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